認知症の親が同じ事を何度も繰り返すと、家族はついついとがめてしまいます。すると、自分の家(いえ)にいるのに「家(うち)に帰る」と言い出すことがあるそうです。症状が悪化したかとガッカリする家族に、医師はこう諭します。「家(うち)とはホッとできる場所です。やさしい顔をした息子・娘のもとでホッとしたい、ということなのでしょう」。
「家(うち)」には、「家(いえ)」とは違う、何とも言えない、なつかしい響きがあり、多くの人にとって、その人の存在の原点です。心の中にしっかりとした「家(うち)を持っている人は、どのような状況にもうろたえることがありません。
さて、あなたにとって、帰る家(うち)はどこですか。すべての人のために、イエス・キリストはこの地上のひとときの家(いえ)とは異なる、天の家(うち)を備えてくださいました。「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。」(ヘブル11:16)
私たちの帰るべき天のふるさとに思いを巡らし、仰ぎ見つつ日を過ごすことは、今日一日だけでなく、未来に向けてのエネルギーとなり、試練を宝に変える力となります。私たちの最終の家(うち)は、天のふるさとです。
「わたしたちの国籍は天にある」(ピリピ 3:20)ことを、今週もしっかり覚え、歩みましょう。