「ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった」(マルコ16:4)
イースターの朝、マグダラのマリヤたちはイエス様のなきがらに香料を塗ろうと出発しました。彼女らは、「石は取りのけられてある。誰かが動かしてくれる」という堅い信仰を持って出向いたのではありません。「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」(マルコ16:3)と心配を抱えながら行ったのです。
しかし、そこで見たものは、人間の限界である「死」という大きな石が「すでにころがしてあった」という現実でした。この事実を確認するのがイースターです。
この女性たちのように100%の堅い信仰を持たない自分であったとしても、まず一歩踏み出してみること。ここが信仰の勘所です。「あの石があるからできない」という思いはあっても、その場に行ってみることなのです。すると、たとえ、からし種一粒ほどの小さい信仰の一歩であっても、神はそこに命を見出して下さり、山のような大きな石を動かす御業をなして下さいます。
イースターは、あなたが信仰の一歩を踏み出す日です。復活の主と共に、踏み出す記念日として参りましょう。