イスラエルの民が捕囚されたバビロンから解放され、帰還する際、護衛を断ったのが学者エズラでした。彼らは相当の金銀青銅を携えてエルサレムまでの約4ヶ月の旅に出なければなりません。しかし、エズラは普段からアルタシャスタ王に「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」(エズラ記8:22)と言っていたので、その信仰を守り通そうとしたのです。
これは我力の信仰で、まだ自分自身が主導権を握っている段階の信仰です。やがてやせ我慢にも限界が来ます。「本当に賊に襲われたらどうしよう?」「自分が倒れたらこの人たちはどうなるのか?」。我力の信仰の持ち主には、必ずこのような思いが次々と湧いてきます。驚いてはいけません。それが神に導かれている人の順調な姿です。不安と心配で押しつぶされそうになった挙句、搾り出すようにして出るのが「祈り」だからです。
エズラは断食をし、神の前に身を低くせざるを得ませんでした。神はそのようにして私たちを祈りへと導かれます。
不安と心配は神様からの招待状です。その招待状には「祈りなさい」と書かれてあるのです。不安と心配の中で、安心して祈りましょう。神に求める中で、私たちの想像を遥かに超えたみわざを神は見させて下さいます。