米沢興譲教会では、「祝福の先取り」「請求書的祈りではなく、領収書的祈り」というメッセージを聞きます。この聖書的根拠はどこにあるのでしょう。
代表的な聖書箇所の一つに、ヨシュア記6章2節があります。奴隷であったエジプトを脱出し、40年に渡る荒野の訓練を経て、イスラエルの民は約束の地カナンに到達しました。そこで彼らが目にしたのは、堅固な城壁に囲まれたエリコの町でした。ところが神はヨシュアに対して、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている」と語られたのです。戦う前なのに完了形なのは、神の目には勝利がすでに確定していたからです。この「すでにそうなっている」という神の言葉を信じて歩み出すことが、信仰の勘所です。
これは、現在の私たちでも同じです。キリストの十字架によって罪の赦しや永遠の命が「すでに」与えられている一方で、現実には病や自分の弱さとの戦いが「いまだ」続いているのが私たちの姿です。この狭間を生きる鍵は、神から「約束」という「領収書」を先にいただいて生きることです。ただし、これは自分の欲しいものを強引に引き寄せるためのテクニックではありません。「神の約束の確かさのゆえに、先に感謝して受け取る」という、神への純粋な信頼の現れなのです。
神の確かな領収書をしっかりと握りしめ、今週も力強く踏み出していきましょう。
