ある時、教会で少年が問題を起こしました。お父さんが謝罪に来られ、息子に頭を下げさせようとしました。息子は「申し訳ありませんでした」と口では言うものの、手をついて頭を下げる動作ができず、固まったままです。あわてたお父さんが息子の頭を押さえつけましたが、それでも下がりません。自分は悪くないと思っている本音が丸見えで、周囲は苦笑する他ありませんでした。
これとは反対に、自分は悪くないのに、なぜ私が頭を下げなければならないのかと憤慨する時が人生にはあります。自分がしたことでなくても詫びなければならない理不尽さ。しかし、その経験を通して初めて、全く罪がないのに私たちのために自らへりくだり、不条理な苦しみを受けてくださったキリストの姿が深く意識されるのです。十字架はこのためだったのかと、心身で実感できるのがその時です。神のきよさにあずかり、キリストに似た者とされるとは、このような訓練を通して成されるものです。
神の御前では、私たち自身があの少年のように「絶対に頭を下げられない」頑固な罪人です。そのような私たちのためにキリストが代わりに御前で頭を下げられ、罪の全てを引き受けて十字架について下さいました。その方とくびきを共にし、聖なる者となる訓練を受けつつ生きるのがクリスチャンの人生です。今週も、この歩みを続けて参りましょう。
