「だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう」(マルコ9章41節)
この聖句を読んで、「クリスチャンに会った時には、水一杯を差し上げればいいのだな」と受け取っては、本当の意味をつかみ損ねてしまいます。ここで語られているのは、「水一杯というほんのわずかな行為でも覚えて報いて下さるのが神である」という真理です。そして、「それ以上の善い行いには、さらに大きな報いを与えてくださる」と教えているのです。
もし、この箇所を自分の得のために利用しようとする人がいればどうなるでしょう。その人は打算的に善行を積み、結果として人の好感を得て、経済的にも社会的にも繁栄するかもしれません。しかし、この聖句が本来意図するのは、自分の特になるように神から報いを引き出そうとする考え方とは大きく異なります。
神様はどんな小さなことでも覚えて報いてくださるのだから、その神の報いに目を留め、人からの反応は気にするな、ということです。それが「あんなにしてあげたのに」と、古くから人類を悩ましてきた「忘恩」という不幸なからくりから私たちを解放してくれます。
人からの見返りではなく、神からの報いにのみ目を注ぎ、霊的に養われる一週間としてまいりましょう。
