1999年7月の霊想

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  等身大の自分を生きる  (7月4日)


ある人が次のようにお便りくださいました。

「自分の心の旅をして何カ月か経ちますが、私の心の中に次のようなメッセージが回っているのです。それは、ズバリ『お前は半人前だ』というものです。ある意味で私のすべての行動も、問題も、葛藤もこのメッセージから生まれていることに気がついたのです。
 まず半人前だという意識は劣等感を生みます。私が劣等意識を持つ時は、自分が子供として扱われた時や他者の大人としての行動を見た時です。お前は何をやってもろくにできない、常識的なことは何もわかっていない、よってお前は半人前、そんな烙印が私の心の中には押されているのです。
 次に半人前だという意識は甘えを生みます。根本的に私の中には甘えがあります。甘えるためには甘えるための条件が必要です。その条件こそ『半人前である』という自分のアイデンティティー(一致条件)なのです。私は半人前だから甘えていい。そんな勝手な理論が私の中に成り立っています。私はそれによって責任を回避し、大人になることを放棄してきたのです。」
 自分の不十分さをサタンに利用されるのではなく、主にあって、その恵みを覚え、謙遜に、そして大胆に今週も歩んでまいりましょう。

  立 つ 位 置  (7月11日)


人が、どこの位置に立っているかで、その人の生き方そのものが現されるようです。私たちは、自分が一生懸命であればあるほど、人の上に立ち、人を裁いてしまう現実があるものです。

 しかし、真に私たちの上に立たれるお方は、神さまのみです。自分がどこから救い出されたかを思う時、私たちは、人の上に立ってしまう愚かさを知ります。そして、恵みのゆえに、神の御前に立っていることすらできず、神の御前にひざをかがめずにはおれなくなるものです。
 ある方に念願の赤ちゃんが与えられましたが、母乳が出ず、大変苦労しました。それでも、母乳だけで立派に赤ちゃんを育てられました。ある時、電車で、赤ちゃんを抱っこした若い母親の隣に座りました。彼女は、その若い母親の母乳のことが心配になり、「失礼だけど、あなた母乳出るの」と尋ねました。彼女が戸惑っているので、いかにしたら母乳が出るかと話し始めた時、その若い母親は言いました。「この子、養子なんです」。彼女は、自分の立っている位置を恥ずかしく思いました。その時、若い母親が「この子は神様から授かりました」と続けたのです。彼女は、恥ずかしさ以上に、この若い母親の神の御前に立つ確信に、世界中のどの母親にもまさる愛を感じたのです。   (E・F)

  自信と誇りを持って  (7月18日)


日本に住んでいると、自分が日本人であると意識することは稀です。しかし、一度外国に出ると、自分が日本人であること、また、日本を代表しているかのようにまわりから受け取られることがあります。

 あなたの所属している所の代表である自覚を持っていらっしゃいますか。あなたが、学生、あるいは会社員である時、あなた個人と出会う時、他から、所属グループの代表と見られることもあります。代表としての自信と誇りを持って生きることは大切なポイントです。
 あなたも、米沢興譲教会に集われて、米沢興譲教会の代表であるという自覚をお持ちでしょう。持っておられる自覚をさらに深め、豊かにしていきたいものです。自覚ある人々によって全体がさらに強くされ、その恵みが、あなた自身に返ってくるからです。
 「どのような教会ですか」と聞かれた時、米沢興譲教会の代表者として、「私を見てください」と、自分ではなく、内にある主の確かさを証ししてまいりましょう。
「ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った。……ペテロが言った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』」     (使徒行伝第3章4節、6節)

  真の人生の磁石と地図  (7月25日)


数年前、A大学山岳部員数名が、薬師岳で亡くなりました。OBは、「装備は完全。批判さるべき点は何一つ見つからぬ」と発表しましたし、遭難した彼ら自身のメモにも「われわれは絶対に全員帰る。その気力充分」と記されていました。しかし、遺体からは磁石が見つからず、地図と磁石は山小屋に置かれていました。完全な装備、充分の気力、それらは彼らの真の必要事ではなかったのです。磁石と地図、このありきたりの品物こそ、彼らの真の必要であったのです。

 同じ頃、カナダの雪山に、アメリカ人パイロットと女性一人が不時着し、零下四〇度の山中で五〇日も生き延びて、奇跡的に救出されました。パイロットは肋骨、女性は手足を折っており、その上、たった二個の缶詰と一箱のクラッカーだけで、彼らは生き延びたのです。何がこの奇跡を起こしたのか、それはわかっていません。わかっていることは、女性の持っていた一冊の聖書を、彼らが繰り返し読んでいた、という事実だけです。み言葉が、彼らに生きる希望と平安を与えたのです。
 真の人生の磁石と地図は、聖書です。
 「あなたのみ言葉はわが足のともしび、
  わが道の光です。」(詩篇一一九篇一〇五節)
                          (K・K)

 

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