1999年11月の霊想

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  狭き門、広き門  (11月7日)

              
 長期低迷が続く日本経済ですが、かつてない規模の大ヒット商品があちこちで産まれています。90年代は、売れる物は爆発的に売れ、売れない物は全く売れない『ひとり勝ち』の時代です。たとえば、音楽業界では、宇多田ヒカルのファーストアルバムが、発売から二ヶ月半足らずで、史上最高の七百万枚を突破しました。
 現代はあまりにも情報が多く、選択肢が増えれば増えるほど、自らで考え試すことが〃おっくう〃になり、安易な人の言葉、特にマスコミやメディアに乗りやすく、考えないで決断をしてしまうようです。まさに、「考えることをやめた日本人」の姿を見ることができます。
 これは、日本の行く末に大変な危険がはらみます。本来、マスコミは、大衆のこのような行動パターンに警鐘を鳴らし、刹那的、感情的な反応を示さず、冷静な分析やデータを提供するのが使命です。しかし、大衆の行動に拍車をかけ、あおっているのが事実です。
 ゆえに、神を信じるあなたは、時代の価値観や状況に流されず、滅びに至る広き門ではなく、狭き門を着実に歩むことです。ムードに流されず、自分自身の選択を貫く賢明な主体者となることが、21世紀をよりよく生きる鍵です。そのための秘密は、絶えず目を覚まし、み言葉に立ち、祈りつつ主と共に歩むことに他なりません。

  子供祝福式にあたって  (11月14日)


本日の礼拝では、七五三にちなんで、年齢にこだわらず、子供祝福式を会衆の皆様と一緒に行います。次の時代を担う子供たちが、精神的にも社会的にも肉体的にも、あらゆる面において、神と人から愛されたイエス・キリストにならい、豊かに成長してほしいものです。

 子供たちが少年少女になる姿を思い浮かべると、希望的観測ばかりではありません。厚底サンダルでヨチヨチ歩く少女たち。茶髪やピアスはもう当たり前。身に合うお化粧や服装をすることはすばらしいことですが、案じることは、若者たちが、髪や目の色、肌の色、体型に至るまで、すべて気に入らず、みな変えてしまえという、自己嫌悪を隠し持つ変身願望のように見えるからです。
 このような若者たちに、豊かな暖衣飽食の現状をもって説教しても始まりません。物をいくら与えても、心の貧しさは救えないからです。それは、親世代が、本物の生き方を説き、生きてこなかった、内面の空虚さの反映に他ならないからです。 人は生まれる先から、神に選ばれ、造られ、生かされていることを語るだけでなく、生きていきたいものです。子供祝福式のひとときの祈りに加わるだけでなく、祈りの実体を、次の時代に示してまいりましょう。
 「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒17・28)

  人生を走り抜く  (11月21日)


「走るよりも歩く方が楽、歩くよりも立っている方が楽、立っているよりも座っている方が楽、座っているよりも寝ている方がいい」――ある国のことわざだそうです。私たちは、気がつくと、つい楽な方を選んでいるものです。しかし、やがてこの地上の生涯を終え、死も悲しみもない、豊かな平安に満ちた休み場が与えられますから、その時まで、このほんのひとときの人生、マラソンのように走り抜いていきたいものです。

 ヘブル12章に、走り抜く秘訣として、捨てること、耐え忍ぶこと、目標を明確にすることが記されています。
 捨てるとは、重荷とからみつく罪を捨てることです。大小様々な重荷が、日毎、磁石のように吸い付いてきます。それら一切を、主にゆだねていきたいものです。罪を捨てるとは、神様との関係の強化に他なりません。
 耐え忍んで、「罪と取り組んで戦う時、血を流すほどの抵抗をしたことがあるか」と聖書はチャレンジしています。汗を流し、涙を流し、血を流す(犠牲を惜しまない)日々にチャレンジしたいものです。
 これらを成し遂げるためには、目標を明確にする、すなわち、完成者であるイエス様をしっかり仰ぎ見つつ生きることです。これが人生を完走できるコツです。
 今週も、み言葉の約束に希望のすべてを託し、前進してまいりましょう。(ヘブル12・1~7)

  練達したキリスト者となるために      11月28日


深刻な相談の折、問題に振り回されたり、共に埋没することがあります。しかし、全ての問題は、主にあって、その偉大な力によって、強くなり(エペソ6・10)、主の知恵で対応できることを覚え、訓練し、練達したキリスト者となりたいものです。
 「キリスト教の救いについて教えてほしい」と言われて、喜んで、心を込めて、人間の問題やキリストの救いをお話ししました。しばらくすると尋ねた人は、「問題はそんなことではありません。明日までに五百万円都合できなければ倒産し、家族は路頭に迷うのです」と言われました。一瞬言葉を失いつつも、問われた人は、「そうですか。それは大変です。しかし、敢えて申し上げます。倒産など、永遠の命と比べたらどうでも良いことです。倒産しないかもしれないし、路頭に迷うと言われましたが、それなりに暮らしている人が多いものです。神様との交わりのない生活は最も深刻です」と答えました。
 経済的な問題を持ちつつも、その方は、教会に来られました。お店は倒産しましたが、家族は、路頭に迷うこともなく、やがて、信仰を持たれ、さらに大きな事業を展開されました。「倒産は、神様からの最高の贈り物でした」と言っておられます。
 何事においても、霊的な見方をし、霊力に満たされて対処できる者とさせていただきましょう。

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