1999年12月の霊想

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  リーダーの勘どころ  (12月5日)

 優れたリーダーには、必ず、『発想の妙』というものがあります。「さすが!」と人々を感嘆させるような考え方です。特に、状況が八方塞がりで、財政の面でも行き詰まっている時に、『発想の妙』が発揮されると、まわりは勢いを得ます。具体的には、次のような人です。
 1 つまらない仕事を面白くできる人
 2 暗く沈みがちな場所を、明るくする人
 3 どんな仕事にも必ず意義を発見し、その仕事をする人々を興
    奮させる人
 私たちは、会社や学校、住んでいる地域、そして、家庭等、生活の現場で、何らかのリーダーとして生かされています。そこで、あなたが祝福の基となるためには、他人やまわりにだけ改善を求めるのではなく、自らが、リーダーとして、どうしたら最善になるのかをいつも考え、小さな『神のつむじ風』となって雰囲気作りを実行していくことです。

 「迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
  いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、
  イエスのいのちが、この身に現れるためである。(Ⅱコリント4・
  9~10)」 (A・T)

  錆び付き症候群   (12月12日)

 『○○症候群』という言葉がよく使われます。バブルの盛んな頃には、『燃え尽き症候群』という言葉がよく使われました。そして最近は、『錆び付き症候群』が増えていると言われます。
 錆び付き症候群は、人の中に一旦忍び込むと、人からエネルギーを奪い、精神を麻痺させ、ガンや心臓病よりも伝播力が強く、その恐ろしさに気づく人が少ない、と専門家は記しています。日常生活の中で、いろいろな問題があっても、何となく過ぎていく間に、知らずと感性が鈍っていったり、小さな出来事の中にも感謝を見出し、試練をも打ち破るエネルギーが枯渇してしまうのが、この症候群の特徴です。
 しかし、いつもみ言葉によって生き、御霊に満たされた人は、内から湧きいずる霊力で、決して錆びることはありません。日々の食事にしても、〈おいしい〉物を食べる、という生き方は貪欲を生み出しますが、〈おいしく〉物を食べるという、「い」と「く」たった一字違いは、どのような状況の中にあっても、主にあって、その偉大な力を得ながら、「工夫」を見出し、培う新鮮な生き方です。
 今週も、おいしい生き方ではなく、おいしく生きる、主にある歩みを、心していきたいものです。

  大きな喜び―クリスマス (12月19日)

 「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。」  
                           (ルカ2・10~11)

 クリスチャンが一%にも満たない日本も、今、クリスマス一色です。クリスマスを「大きな喜び」と聖書は告げています。それは、私たちの永遠の救いのために、神が人となられた、歴史的出来事だからです。
 当時、人々は、ユダヤをローマから独立させる救い主を求めていました。しかし、政治的な救いでも、病気や貧困から一時的に解放する救い主でもなく、キリストは永遠の命を与える救い主として来られたのです。親であれば、いかなる理由があっても、わが子を犠牲にしないでしょう。しかし、神は、ひとり子イエス・キリストを十字架にかけ、私たちを永遠の滅びから解放してくださいました。
 クリスマスは、救い主イエス・キリストの降誕を深く覚える時です。さらに、その大きな喜びを個人的なものとすると共に、イエス・キリストを知らない人々に伝道できる最大のチャンスです。神様から知恵と力をいただいて、あなたの方法で、身近な人にイエス様をお伝えしたいものです。伝道は、他者のためと同時に、あなたの祝福となるからです。

  締めくくり   (12月26日)

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。(Ⅱテモテ4・7~8)

 今日は今年最後の聖日です。すべてには終りがあり、その締めくくりはあわただしいものです。やがて、あなたの地上の生涯にも、締めくくる日の来ることを忘れてはなりません。神のみ前に立ち、人生の総決算をする時が来るのです。人は、一日一週と時間を数えることはできます。しかし、一生の終りがいつかは、誰にもわかりません。いつその時が来ても、あわただしい締めくくりにならないよう、普段から心がけておきたいものです。
 このことは、頭で理解しても、実体となりにくいものです。ですから「一ヶ月の命と言われたら何をするか」と、時間をかけて瞑想すると、あの事この事と思い起こすものです。やり残していることを見つける良い方法の一つです。しかし、いつも区切りごとにしっかりと締めくくっている人は、残された時間がどうであっても、いつものように、いつもの事を成すと言います。
 戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくしたと言える生涯を目指し、一年の終りに、人生も組み込んだ祈りの時を持ち、良き締めくくりと新しい年に備えてまいりましょう。

 

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