2000年1月の霊想

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  健康の三条件  (2000年1月2日)


クリスチャンの精神科医K先生は、精神的に健康な人は、三つの性質を持っていると言います。

第一に、謙遜な人。すなわち、人を自分よりすぐれた人とできることのようです。第二番目は、寛容な人。Ⅰコリントに「愛は寛容であり」とあるように、寛容は、最も大切な愛の主軸をなすものです。第三番目は、あやまることのできる人。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」(Ⅰヨハネ1・9)とみ言葉にあります。
 神を信じるあなたにとって、霊的に健康である三条件とは、何でしょうか。
 一.み言葉によって生きる人。「あなたのみ言葉はわが足のともしび、
   わが道の光です」(詩篇119・105)
 二.よく祈る人。神様との交わりを絶やさない人。
 三.実践する人。「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うもの
   を、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」(マ
   タイ7・24)奉仕においても、献げることにおいても、伝道において
   も、生活の現場で実践する人です。
 今年も、精神的な、また、霊的な健康を心して歩んでまいりましょう。

  主は正直な人と共におられます(歴代誌下19・11)  (1月9日) 


どの国、どの時代でも、数ある徳目の中から「正直」をあげる人が多くいます。正直を英語でhonestyと言います。この語源は「one with what is(あるがまま)」です。

 「あるがまま」と聞くと、私たちは、自分の好き勝手にしてよいと、自分中心に考えます。しかし、神の作品としての人間のあるがままとは、私たちの創造主である神の前に立つこと、神と共に生きることを言います。あるがままとは、すなわち、正直であることです。日本語でも、正直の「正」の字は、「一」に「止まる」と書きますし、韓国では、神様のことを「一様(ハナニム)」と呼び、「一」は唯一の神様を意味します。
 私たちの裸のありのままを誰も認めてくれません。自分でも、自分のすべてを正直に認めようとしません。それは、時代の価値観や自分の持つ評価で自分を受け入れようとするからです。しかし、あなたも知らないあなたのすべてを承知で、丸ごと受け入れてくださる神の前で自分を見出し、受け入れる練習をしたいものです。
 自分では不足と思っても、主が良しとしてくださるのですから、自分と和解をし、主の前にある自分に正直に歩むことです。今週も、主にある正直、本物の自由と喜び、確かなエネルギーを体得してまいりましょう。

  粘 り 強 く   (1月16日)


カルチャーセンターの文章教室で教えておられる方が「三十年の講師生活で、一つのことがわかった」と、次のように語っておられました。

 クラスで一番才能が乏しく、「大丈夫かな」と思う人も、コツコツと、忍耐深く学んでいく時に、立派な文章を書き上げるまでになるそうです。また、一見、器用に見えても、長続きせず、「教え方が悪い。もっと良い教室へ」と、教室を渡り歩く人もおられます。このような人を、『カルチャー難民』と呼ぶのだそうです。
 すなわち、二種類の人がいて、前者を地動説型、後者は天動説型といいます。天動説型とは、生活環境が、すべて自分が中心でなければ承知できない性格で、独断的で独善的、そして、自分を粘り強く変えていくことに欠ける人です。それに対して、地動説型は、地球が一つの惑星となって太陽の周りを回転するように、神を中心とし、いつも謙虚で、根気強く、自分自身作りをあきらめない人のことです。
 今年も、何に焦点を合わせるか、その選択を早急にして、そこに打ち込みたいものです。さらに、精神的難民にならないためにも、謙虚に、忍耐深く歩み、年の終わりには、多くの収穫を携えてくる者を目指してまいりましょう。

  21 世 紀 に 備 え る1月23日)

                   
  笑う時間を作ろう、それは魂の音楽だ。
  奉仕する時間を持とう、それが天国への鍵だ。
  祈る時間を持とう、地上で最も偉大な力だ。
      (アイルランドの古いことわざ)

 今年は、20世紀最後の年であり、21世紀に備える年です。
 笑いは心のゆとりから生まれ、その心のゆとりを得るには、神様との深い交わり(祈り)が何よりの秘訣です。21世紀に備え、み言葉に根ざした祈りの時を、毎日の最も大切な習慣の一つとし、強化なさることです。
 「幸せになる道は様々な物を得ていくこと」と、多くの人は考えます。しかし、それは終りがない世界で、得れば得るほど不足を感じます。真の幸せへの道は、イエス様が「受けるよりは与える方がさいわい」と言われたように、他者のため、神のために生きることです。それは、すなわち、奉仕をすることです。人に、これほど存在価値と生きがいを与えるものは、他に例を見ません。
 今年も、またある人にとっては、今年こそ、祈りを習慣化する日毎の訓練と奉仕を、惜しみなくしていきたいものです。あなた自身の21世紀の備えは、人類への大きな貢献となるのですから。

  祈 り の 力  (1月30日)


アメリカで活躍中のプロカメラマン、佐藤惠一兄は、日本で仕事がある折に当教会をお訪ねくださり、親しいお交わりをさせていただきます。これは、お伺いしたお証しのうちの一つです。

 世界のトップの人々を訪ね、限られた時間で撮影することは至難の業であり、私たち素人の思いをはるかに越えた、神経を使うお仕事です。彼は、そのような仕事の中、祈りが最大の武器であると語られます。
 ハンディキャップを持つゴルファー、C・マーティン氏の撮影が許されたことは異例中の異例でした。特に、彼は写真が嫌いなので、大変、心遣いされたようです。彼がクリスチャンであり、ピアノを弾くと聞いていたので、撮影の折、ピアノを小道具としてセッティングされたそうです。見ると、そこには佐藤兄が持っているのと同じゴスペルの楽譜があり、そのことから、共に賛美をし合い、また、深い内面のとりなしの祈りまで導かれたのです。時間を忘れるほどの深い交わり、そして、出来た写真があまりにもすてきで、編集部の方が驚くほどでした。二人の、立場を越えた神への祈りのひとときが、その作品をもたらしたようです。
 私たちの日々の生活の中で、ささやかに思える台所での時ですら、あなたも、人生のすばらしき瞬間を捉えることができます。そこに、祈りがある時に・・・。

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