2000年6月の霊想

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  備 え せ よ  (6月4日)

 ニュージーランドに、キウィという、飛べない鳥がいます。科学者によると、ニュージーランドは、早い時期にオーストラリアから別れてできた島で、その時、哺乳類はまだいませんでした。猛獣もいません。ですから、鳥は敵から逃げるために空を飛ぶ必要がありませんでした。やがて、年月を経て、キウィは飛ぶ力を失い、飛べなくなってしまったのです。
 ある時その島に白人が上陸し、一緒に、猫や犬といった動物も運んできました。飛べる鳥ならば、別に犬や猫など恐くありませんが、飛べなくなっていたキウィは、犬猫の恰好の餌食となってしまいました。
 さながら、リストラの嵐が吹き荒れる、現代の日本のようです。年功序列で「定年まで面倒を見てあげます」という、戦後の終身雇用の世界は、ある意味で、ニュージーランドのようなものでした。しかし、新たな世界が始まったのです。この時に至って、狼狽する人と、普段からしっかりと備えていた人がいます。
 聖書は、時に備えていた賢い乙女(マタイ25・4)のように、いつの時も「賢くあれ」と語ります。今週も、み言葉に親しみ、神との深い交わりに生きることの確かさを、日ごとに培い、備えてまいりましょう。

  祝福は自分から始まる  (6月11日)

 豊かな資質と可能性を備えながらも、ひと花咲かせるのに躊躇している人がいます。それらの人の共通している言い訳は、自分には能力がない、体力がない。あるいは、恵まれない環境で育った。また、今の時代は困難な時代である、未来は暗い、等々です。祝福の基である自分のすばらしさを、まだ知らないからです。
 「木はその実でわかる」(マタイ12・33)とあるように、どのような状況でも、主のみ言葉に信頼し、あなた自身が実力をつけていくと、人も状況も、あなたの実力を評価するものです。何よりも、どのような障害をも乗り越える実体を身につけることに挑戦したいものです。
 英国の元首相で作家でもあるディズレーリは、れっきとしたユダヤ人です。名前の『ディズレーリ』そのものが、『デ・イズラエル』から来た言葉で、『イスラエルからの人』を意味します。すなわち、ユダヤ人であることを名前があらわしているのです。にもかかわらず、築き上げた実体ゆえ、民族的に低くされがちな英国で、ユダヤ人であっても、首相にまで登りつめ、「英国近代保守党の生みの親」とまで言われるようになったのです。 今週も、打ちひしがれることなく、「主にあって、その偉大な力によって、強く」(エペソ6・10)され、歩んでまいりましょう。

  思考の三原則  (6月18日) 

 心にとめるべき大切な神の知恵を、聖書は語ります。
   一、長い目で見る
 目の前の出来事に振り回されがちです。しかし、今、この時に全力を尽くしつつ、目標を目ざして走ることです(ピリピ3・14)。長い目で、目標である神の国を目指して生きることが、試練を乗り越え、あらゆる状況に豊かな意味、宝を見いだす秘訣です。
   二、全体的に見る
 人間的な思考や経験で見ると、一部分しか見えず、全体が歪んでしまいます。「わたしの知るところは、今は一部分にすぎない」(Ⅰコリント13・12)のですから、神の目を通して見ることが大切です。信仰をもって、祝福の完成を思い描きつつ、今を生きたいものです。
   三、本質を見る
 時代の価値観や、人の言葉に左右されそうになることがあります。本質が建前と代わってしまい、確かな土台を欠くことのないように、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6・33)という本質をしっかり見極めることです。その時に、すべての必要が備えられることを、生活の中で体験し、味わってまいりましょう。
 今週も、この三つの世界を怠りなく鍛錬し、日を過ごしたいものです。

  神の愛に整えられて  (6月25日)

 アメリカの第30代大統領カルビン・クーリッジは、大統領選挙の直前、支持者のパーティーに招かれました。
クーリッジが帰宅した後、人々が、彼は良い大統領になるだろうかと語り合い、賛否両論に分かれました。
 その時、その家の6歳になるお嬢さんが、次のように言いました。「私、クーリッジさんが大好き。すばらしい大統領になる」と。包帯を巻いた指をみんなに見せ、「今日のパーティーで、私の指のことを聞いてくれたのは、あのクーリッジさんだけだったもの」と微笑みいっぱいに語ったのです。
 それだけで大統領の資格があるとは言えないかもしれません。しかし、このような小さな思いやりは、人々の心を打つものです。この少女にとっては、生涯、記憶から消えない出来事となったことでしょう。
 神様の愛は、人として、イエス・キリストのかたちをとり、私たちのただ中に来てくださるほどの驚くべきものです。イエス様は、誰も気にとめず、聞いてくれないあなたの小さな傷や出来事にも心をとめ、慮り、とりなし、いやしてくださる方です。
 今週も、この神の愛をしっかり覚え、その恵みの中に自らを整え、また、その受けた恵みを人々に分かつ歩みをしてまいりましょう。

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