2000年8月の霊想

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  新鮮さを保ちつつ   (8月6日)

 モーセは、神から十戒を受け取った直後、民衆の堕落に対し、「神の側につく者はみなわたしのもとに来たれ」と言いました。その問いに、レビの子孫たちが全員、彼のもとに集まりました。神はモーセを通して、彼らに、つるぎを携え、おのおの自分の兄弟、伴侶、隣人を一人ずつ殺すように命令しました。そして、三千人の民が、その日のうちに殺されたのです。(出エジプト32・25~29)
 壮絶なこの歴史の事実は、私たちに、愛の中にある厳しさ、恵みボケすることなく、そこでうち捨てなければならないものを捨てていく強さを語っています。
 しかし私たちは、時に、その力が乏しいものです。
 自分の乏しさに気がつかされた時にこそ、この世に勝利されたイエス・キリストが共におられることを覚えることです。我力ではできません。だからこそ、そのできない自分をキリストにゆだね、主にあって力を得ていくことが秘訣です。
 古き自分に別れを告げ、いつも、主にある新鮮さを保ちつつ、成長してまいりましょう。
「愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。」
                 (エペソ4・15)

  情緒原理と行動原理  (8月13日)

 日本人は情緒原理主義者である、とよく言われます。「まあ、まあ」とぼかすことが生きる術となったのも、地震や台風など、対処不能な力に対して忍従してきた長い歴史があるからなのかもしれません。
 この生き方には長所が数多くあります。しかし、その反面、つい、いい加減で、場当たり的になってしまうこともあります。大伴旅人の次の歌は、そのような日本人の心情を表しています。
  「今の代にし 楽しくあらば 来む生には
   蟲にも鳥にも 吾はなりなむ」(万葉集)
 クリスチャンの特権の一つは、新約聖書の土台として旧約聖書が与えられていることです。旧約聖書は私たちの宝とも言えます。旧約聖書の基本は、行動原理主義であり、有無を言わせず情を切り捨て、あるべき姿へ向かわせる厳しさが根底にあります。
 日本人として、また、クリスチャンとして、情緒的豊かさに単に流されるのではなく、日々の歩みの厳しさにも目を向け、見える形で厳しさを実践していきたいものです。
 具体的に、朝早く起きること、密室を守ることなど、あなたの日々の歩みで、今日から取り入れることのできるものを見いだしてみてください。

  だれかひとりの人のために  (8月20日)

  もしも わたしがひとりの友の
  心の痛みを 癒せたら
  もしも わたしがひとりの友の
  生きる苦痛を 救えたら
  ひとりの人の 憂い迷いを
  心の安らぎに 導けたら
  弱った小鳥を そっと両手に捧げて
  その巣に返した時のように
  わたしの生きる喜びとなる
 この詩は、雪深い東北の地で多くの人々の心を立ち直らせた、佐藤初女さんの詩です。
 年々増えつつある心の病。人生の明確な目的・目標の欠如が、病の強力な要因の一つにあげられています。
 あなたの人生の目的、具体的な目標は何ですか。目的や目標がある人は、どのような試練や困難な状況も突き抜けていくことができますし、その豊かさのゆえに、置かれた状況を困難とは感じなくなります。
 自分のための目標、目的も助けになります。しかし最高の目標は、だれかひとりのためにあなたの人生を捧げることです。あなたとの出会いにより、だれかが神様の愛を知り、イエス様に出会うことができたなら、それはあなたのかけがえのない生きがいとなることでしょう。
 今週もだれかひとりのために歩んでまいりましょう。

  三 流 の 生 き 方  (8月27日)

 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
 種を携え、涙を流して出て行く者は、
 束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。
             (詩篇一二六・五~六)
 確かな人生の拠り所は、三つのものを流すことです。
 過日、山大生時代に米沢興譲教会で信仰と献身の決意をし、現在、南町田教会牧師として活躍しておられる上田先生ご一家が、十年ぶりに米沢を訪ねてくださいました。礼拝の証しは、聞く者すべてに感動を与えました。
 遣わされた教会で、教会学校の生徒を求め、あらゆる努力をしましたが、一人も集わない。教会に戻って会堂にいると、右記のみ言葉が目に入り、涙と共に祈られました。そこで示されたのが、教会のお掃除でした。お掃除をしていると、「先生、何をしているの」と、近所の子供が遊びに来ました。このことがきっかけとなり、先生一人が三人の子供たち相手にバドミントンをしたり、ヘトヘトになるまで遊ぶようになったのです。やがて、この子供たちが教会学校の礎となりました。先生は、証しの折、このみ言葉を涙と共に読んでおられました。
 全力で走る時流れる汗と、なぜと思うような試練の時に流す涙、そして、労を惜しまず働かれた先生のように、犠牲を惜しまないこと(血を流すこと)の三つが、どの人生を生きるにも大切な要素のようです。

 

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