2001年2月の霊想

 

なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい(マルコ11・24)
(2月4日)

賛美の得意な人、また、行動力のある奉仕で神様のすばらしさを表す人等、様々な方がいらっしゃいます。
Aさんは祈りの名人と言っても良いでしょう。事あるごとに祈り、また、祈りが聞かれた証しを、よくしてくださるからです。Aさんに秘訣を尋ねると、右の聖句をおっしゃいました。物事を願う時に、現状は願いとは逆のような状態でも、いつも、神様が事を備え完成させてくださることを思い描き、その祝福に今与っているように祈る、と教えてくださいました。
しかし最初は、祈ることすら億劫で、その域に達するには年月を要されたそうです。Aさんは、「この領域は私のようなものでも達することができたので、誰でも達することができる」とおっしゃいました。
Aさんは今、「自分の願うことは○○だけれど、みこころが成りますように」と祈ることが最も喜びだとおっしゃいます。自分の願いと神様のみこころが異なることがありますかと伺うと、「たまにある」とおっしゃいます。しかし、自分の願いと違ったとしても、後に、それが状況に最もふさわしいことを確認なさるそうです。
どのような才能に欠けたとしても、神様がくださったこの才能を、祈りの名人として花開かせてまいりましょう。

すでにある恵み  (2月11日)

わたしは、あなたの神、主であって、
海をかき立て、波をとどろかせる。
(イザヤ51・15)
アメリカでゼロから教会を開拓し、現在は指折りの教会形成を遂げている、サドルバック・バレー・コミュニティー教会牧師、リック・ウォレン師がおられます。師は「どうやって教会を成長させることができるか」と問うのは間違いである、それは波乗りが「どのように波を創れるか」と言うのと同じだと言います。教会を成長させてくださるのは神様で、命があれば、自ずと命あるものが成長するように、教会も成長していくと言います。 波乗りにとって乗る波がすでに海にあるように、教会も、また、私たちの人生においても、神様は、どの人も豊かに成長し実を結ぶよう、すでに命を備えておられるのです。必要なのは、「それを阻んでいるものは何か」と問うことにある、とウォレン師は言います。 何事においても、「どうしたら良くなるか」という視点ではなく、すでに恵みは充分にあり、それを「どのように見いだし、活用するか」ということに心を合わせ、思いめぐらすことが秘訣のようです。
ないものをつくり出そうとするのではなく、「すでにある」というところからスタートすることが人生の鍵です。祈りつつ、神様がすでに備えておられる祝福を見逃すことがないよう、心してまいりましょう。

なくてはならぬもの  (2月18日)

より速く、より多く―現代は、見えるものや物質的な価値観に汚染されてきました。しかし、バブルがはじけ、今、人々はそれに変わる新しい価値観を求めています。
そのすべての答えは、神を信じ、キリストと共に歩む生涯にあります。
山地を旅していた修行僧が、小川で宝石を見つけました。翌日、彼はお腹を空かせた旅人に出会い、カバンを開けて食物を分けてやりました。旅人は、そのカバンの中に高価な宝石があるのを見つけ、ぜひ、それをいただけないかと頼みました。すると修行僧は、惜しげもなくそれをあげました。旅人は自らの運の良さを喜びながら去って行きました。その宝石は、残りの人生を悠々と暮らすことができるほど価値のあるものだったからです。
しかし数日後、旅人は修行僧を捜し出し、その宝石を返して言いました。「考え抜いたのだが、この宝石以上の価値あるものをあなたからもらいたい。あなたはどうして、このような価値あるものを平気で私にくださったのか。あなたのようになりたい。あなたの内にあるその確かなものを私にください」と願ったのです。
今週も、あなたにそのように問う方がおられるに違いありません。

あなたの信仰があなたを救う(マタイ9・20~22)(2月25日)

12年間病んでいた女がいやされた感動の聖書箇所から次のことを私たちは学ぶことができます。
1 絶対にあきらめないこと
長患いをしたり、あらゆる手を尽くしても事がうまく進まないと、あきらめてしまうことがあります。地上に生かされている間、どのような状況にあっても、御心にかなった歩みをするため、あきらめないでいきたいものです。
2 絶対に努力を怠らないこと
できないことを愚痴り、できない理由を考えるのではなく、どうしたらできるかと考えれば、必ずアイデアは生まれます。12年間患ったこの人も、キリストの衣に触れていやされました。あなたの努力は決して無駄に終わらず、報われる日があることを信じましょう。
3 絶対に自分を卑下しないこと
つい、「私のような者」と自分を卑下することがあります。卑下は傲慢の裏返しですから、卑下する人は必ず優越感を探し求めます。しかし、キリストによっていやされたこの人は、傲慢になるのでも、卑下するのでもなく、捨て身で生きました。そこに道が開かれたのです。
今週のあなたの歩みの中で、この3つの生き方を心に留めてまいりましょう。

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