2001年1月の霊想

 

  二十一世紀の礎石 (1月7日)

  十月九日米国ラットランドのグレース教会での集会。神学校を卒えたばかりの日本人が登壇した。
「帰国したら、キリスト教の大学を起こしたい」
教育と宗教こそ国家の基、との信念に燃え、
「献金をいただくまでは、ここから降りません!」
青年は涙をこらえ切れずに必死に訴えた。
「二千ドル!」
感激した会衆の中から医師が声をあげた。
誘われるかのように「二千ドル!」と元知事も叫ぶ。
「三百ドル!」「五百ドル!」
会場は沸き立ち、総額は五千ドル近くになった。そこへ一人の年老いた農夫が青年に駆け寄り、そっと二ドルを手渡す。帰りの汽車賃、しかも持ち金すべてである。
「なに、わしの脚はまだ衰えておらん」。
それから一年―二ドルにこめられた祈りを「礎石」として、新島襄の夢は京都で現実(同志社大学)となる。
以来、百二十五年―二ドルの献金は、今に語り継がれる。
このような信仰と祈りの実践が二十一世紀を支えていることをしっかり覚え、その遺産を私たちも引き継ぎ、私たちも、次の時代の良き礎石になっていきたいものである。

鰹 節 ネ ズ ミ  (1月14日)

  日光東照宮の「眠り猫」で有名な名工・左甚五郎と、当時、並び称された菊地藤五郎は、彫刻界の双璧と言われました。ある時、将軍は二人を呼んで、どちらが日本一か決めたく、ネズミを彫刻させました。今にも動き出すような二匹のネズミを前に、将軍は甲乙付けがたく、決めかねていました。将軍のその様子を見た従者が「ネズミのことなら猫に任せたらよい」と、二匹のネズミを広場に置き、猫を放ちました。最初、藤五郎のネズミに直進しましたが、喰わえるとすぐパッと吐き捨て、甚五郎のネズミをがぶりと喰え、一目散にその場を去りました。その秘密は、藤五郎のネズミは木で彫られ、甚五郎のは鰹節で彫られていたからです。
二十一世紀は、自分のことではなく、相手を熟知した人が勝利者となります。その手本は、人となられたイエス・キリストにあるのです。
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず」(ピリピ2・6~7)
罪人の世界に来られ、その罪を担って救いを完成されたイエス様の思いをもって歩む日々を訓練していきたいものです。

見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。イザヤ49・16   (1月21日)

  20世紀の科学技術の進歩、その便利さは、21世紀に引き継がれました。と同時に、多くのものを失いました。
進化論的人生観―強い者は生き残り、弱い者は淘汰されるという考え方、生き方―は、人間一人一人の存在を危ういものとし、どんなに優秀でも、いつ落とされるかわからない「存在不安」の中に、21世紀を迎えました。加えて、今日は不況で、リストラの嵐が吹き荒れています。
そのような状況にあってもなお変わらない、生かされていることの確かさ、人生の平安は、どこからくるのでしょうか。
この聖句は、神があなたを覚えておられ、あなたの名前ではなく、あなた自身の全存在が彫り刻まれていることを記しています。あなたの弱さも、これまでの歴史のすべても、長所も短所も、人に言えない罪も、絶望も、みな、丸ごと神の掌の中に彫り刻まれているというのです。神の掌はいつも知恵とぬくもりに満ち、時代を超えた確かさはここにある、と今日も語りかけています。
世の中は、さらに混沌としていくことでしょう。しかし、このみ言葉に今週も、そして今世紀も、しっかり立ちつつ、確かさを強固にしていきたいものです。

勇 気 と は  (1月28日)

  「勇気とは、くり返し襲ってくる嵐の中でそびえ立つ樫の木ではない。雪の中で咲く、はかない花である」
(A・M・スウェイン)
財産を失い、名誉を失い、時に健康を害しても、私たちが決してなくしてならないものは勇気である、と言われます。その勇気とは、巨大な強靱なものではなく、小さな雪の下に咲く花のようなものだと、スウェインは言います。今年の東北は数十年ぶりの大雪ですが、勇気とは、まさに、この大雪の下に根付く命だと言います。
自分自身を見ると、どこに希望があり、どこに可能性があるかと思います。しかし、神様が必要としているのは、正しい人、強靱な人ではなく、無きに等しい、さながら、小さな、吹けば飛ぶような、からし種のような存在の私たちなのです。あえて無きに等しい者を選び、そのような存在も、一度水(命)に触れると、私たちの内にある命が芽を吹き、どのようなものも突き破っていくことができます。
リスが掘り出し忘れたどんぐりが、厚い雪の下で整えられ、大きく成長して巨大な樫の木となるように、私たちの始まりは、はかなくいと小さくても、「神様は最善をなしてくださる」という信仰を、この日も、この週もこの年も、しっかり抱きつつ前進してまいりましょう。

 

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