2001年3月の霊想

 

  人生の勝者となるために (3月4日)

あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも
節制をする。
(Ⅰコリント9・24~25)

人生はマラソンのようなもので、その勝者となるためには、何ごとにも節制する、すなわち、十分な準備をすることが必要です。昔から「段取り八分仕事二分」と言われるように、十分な備えが、いかなる状況にもゆとりある結果をもたらすようです。
シドニー・オリンピックの金メダリスト、高橋尚子選手を育てた小出監督は、「過酷で厳しい練習をやってきたから、勝って当然」と優勝のインタビューで言いました。あらゆる場面を想定して積み重ねたトレーニングで得た自信であり、「練習は本番のように、本番は練習のように」を実践なさったからでしょう。
高橋選手は、マラソン出場直前に次のような歌を詠みました。

タンポポの
綿毛のようにフワフワと
四十二キロの旅に出る

私たちも、日毎に与えられている状況を「させられている」のでも「している」のでもなく、「させていただいている」スピリットで歩んでまいりましょう。

  断食の祈り  (3月11日)

今年も、二週間の断食の祈りの時を持たせていただいています。
イエス様は、「このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない」(マタイ17・21)と言われました。頭ではわかり、時には感情も伴ってはいても、どうしても物事を成し遂げることができない時があります。そのような時は、深い神様との交わりの中で、内なる人を強めていただくことが秘訣です。古い習慣を断ち切り、サタンに打ち勝ち、新しい霊力に満たされ、み言葉にしっかり立つことは、強力な信仰の土台を創ります。
定期的に断食の祈りをなさる方がいらっしゃいます。あなたも、あなたの置かれた状況の中で、一日、あるいは、二日と、ミニ断食の祈りをなさってみてはいかがでしょうか。断食の祈りをすることによって、霊的世界の確かさを、知識ではなく霊的体験として、からだ全体で味わうことができます。
先週、そして、今週一週間、皆様お一人びとりを覚えながら、断食の祈りをさせていただきます。
また、私の断食の祈りが豊かに祝されますよう、覚えてお祈りください。          〔田中〕

  光の子らしく歩く (3月18日)

「光の子らしく歩きなさい」(エペソ5・8)
神を信じ、キリストの弟子として歩むということは、やみの中を歩むことではなく、光の中に、光を目指して生きることです。このことを、具体的な生活の中で生かすことが大切なことです。
たとえば、相談にいらっしゃった方が、「最近は、少し元気になってきたのですが、うちの子供が不登校気味で困っています」と言われた時、あなたはどのような会話をなさいますか。「どうして学校に行けなくなったのか、その原因は何だと思われますか」とご質問なさるでしょうか。しかし、光の子らしく光の内に歩むとは、希望に向かって生きることですから、きっとあなたはこうご質問なさるでしょう。「お大変な状況の中、しかし、最近は、少し元気になられたとおっしゃいましたが、どのような工夫をなされたのですか」と。
あなたのひとことの質問の向かう方向が後ろ向きなのか、あるいは、希望に向かって前進するのか……、出会いはまさに人生を変えます。
今週も、あなたご自身が主の霊に満たされて、出会う人々があなたを通して神様の知恵、エネルギー、ぬくもりに出会うことができますように。

  人はなぜ生まれてきたのか (3月25日)

人はなぜいのちが与えられ、生かされているのか、という問いは、有能な哲学者が一生かかっても、時に見いだし得ない問いかもしれません。
しかし、田中大輔ちゃん(3才)は、次のように言いました。

あのね、ママ
ぼくどうしてうまれてきたのかしってる?
ぼくね、ママに会いたくて生まれてきたんだよ

これは大輔君のお母さんが書き留めたものです。まさに人類の難問を一挙に解決しています。神から遣わされた何とすばらしい天使の言葉でしょう。神様が人間を造られたのは、いつか、こういう言葉を言ってほしかったからに違いありません。
おとなになると、この素直さ、純粋さを失いがちですが、日々、自らの罪を悔い改め、救い主イエス・キリストを心に迎え、神の言葉に生きる時、人は神との出会いを通して、出会うすべての人との会話の中に、神様がどんなにすばらしいかを体験し、その確かさを分かち合うことができるのです。
今日も、「あなたに会うために私は生まれてきた」と言っていただくことができるように。また、そのように語ることができますように。

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