2001年9月の霊想

  しなやかに生きる (9月2日)

美しい日本語の一つに、「しなやかに生きる」という言葉があります。この「しなやか」、すなわち、「しなう」という日本語の「しな」は、死ぬ時の「しぬ」の仲間です。つまり、折り曲げられると、いっぺんに折れそうになりながら、ピンと元に戻る、この「しなう」運動は、死ぬことによって弾力を蓄えて、いっそう強く生きることなのです。
「負けるが勝ち」という日本人の生き方は、このような考えを土台としています。
世間一般の生き方は、徹底的に相手を攻撃し、勝ち抜くことを良しとしてきました。人間関係でも、百パーセント話した後で反撃されたら、もう力の蓄えはありませんから、粉々にうち砕かれてしまいます。しなやかに跳ね返す力の貯蓄がないからです。
「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」(ヨハネ12・24)という聖書の真理は、21世紀に生きる私たち一人ひとりの生き方に光を当てます。また「善をもって悪に勝つ」(ローマ8・31)生き方は、勝ち負けを越えた、神の一元に生きる生き方です。
しなやかに生きる、すなわち、キリストの十字架で古い自我に死ぬことは、死ぬ時にすべてが生きるという、古くて、また、もっとも新しい生き方なのです。

  これからの時代の生き方 (9月9日)

これからの時代は、「寄らば大樹の陰」と、何かに寄りすがる生き方ではなく、「自己責任の時代」と言われます。一人一人がよく考え、汗を出し、知恵を出して工夫して、自分の人生を確立していかなければならない時代になりました。
農耕民族としての日本人は、考える訓練があまりできていません。台風が来れば、そこに対応できない、仕方がない、というあきらめが身にしみていて、収穫を増やすことにも限りがあるからです。
しかし、日常の小さな出来事も、考え、よく考え、考え抜く時に、あなたならではの生き方を必ず見いだすことができます。箴言(短いフレーズで、ものの神髄を言い切っている)は、どのようにして生まれるのでしょうか。聖書は次のように記しています。「彼はよく考え、尋ねきわめ、あまたの箴言をまとめた」(伝道12・9)。
考えると、必ず「わからない」と行き詰まります。しかし「能力がない」とは、ただ単に「悩む力=悩力」が足りないことです。ここを突き抜けてこそ意味があるのです。時代や状況に流されず、どうしたらさらに良き人生を、みこころにかなった歩みを、と考えることです。
今週も、未来に向けて建設的人生にこだわり、考え、考え続け、考え抜いていきたいものです。

  どんなところでも  (9月16日)

「あんなところでコーヒー屋をやって、いったいだれが飲みに来るんだ」と、退職の送別会で、役所の同僚たちがこぞって心配してくれた。立地なんて関係ない。売る気にさえなれば、コーヒー豆はいくらでも売れる。
これは、公務員という安定収入の道をあえて捨て、9年前にコーヒー販売に人生を賭けた人の言葉です。かれが店を構えた場所は、山々に囲まれた畑のど真ん中。四方を見まわしても、目に映るのは遙かな山並みと田畑ばかり。冬期は店の前の道が凍結するため、「陸の孤島」を余儀なくされます。
しかし、人々の心配は見事にはずれ、今では、その県でナンバーワンの喫茶店と言われるほどになりました。確かに「大変な場所」ではあるけれど、一粒一粒の豆に心を込めて働いたおかげです。
どのような所でも、心に感謝をもって働いていると、まわりの人々にその心が伝わっていくものです。私たちの教会にも、多くの人が来てくださるのは、心満たすことのできる、イエス・キリストが働いておられるからです。このキリストにあって、感謝に満ちあふれた一週間を歩みたいものです。
「今の時を生かして用い、外の人に対して賢く行動しなさい」(コロサイ4・5) (A・T)

  人 生 の 備 え  (9月23日)

日々の歩みの中で、私たちは、必要な物よりも不必要な物をたくさん心のポケットにしまい込んでいることがあります。その不必要なものの一つは、不安・心配事ではないでしょうか。人間は、物事を予想し、それが起きた時に結果がどうなるかわからないので不安になるのです。最初から結果が明快であれば、不安が解消されるだけでなく、その結果を見据え、より良くするために事前の準備をもすることができます。
あなたはご自分の人生の結果を、どのように見通しておられますか。
聖書は「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように」(ヘブル9・27)と記しています。被造物である私たちは、土で造られ土に帰ります。すなわち、すべての人は死ぬという結果が明快ですから、「どうせいずれ死ぬのだ」というあきらめではなく、先に対して心がすっきりするのです。さらに、死んだ後、一人一人が神の前に立ち、地上の歩みの総点検をされる時が来ます。しかし、すでにイエス・キリストを信じ、罪の支払いが済んでいる者は、その関所を喜びをもって通過できるのです。
今週も、しっかりと人生の結果を思いめぐらし、備えを着実に、確実にする一週間でありたいものです。

  信仰生活の勘どころ (9月30日)

長いこと俳句を作っておられるAさんに、「俳句の基本は何ですか」と伺いました。すると、「一にも写生、二にも写生」と教えてくださいました。
机上の俳句は、どうしても観念的であったり、作り物めいていて発想が平板になり、自然界や人間界の息づかいが希薄になるとおっしゃいます。ですから、時間をみては、吟行に行かれるそうです。同じ山でも、春夏秋冬の変化はもちろんのこと、春は春でも、早春と春中と晩春では、それぞれ様相がまったく異なります。一瞬一瞬の変化の出会いに感動し、それが、生き生きとした句になる、と伺いました。
信仰生活も同じではないでしょうか。聖書研究も、もちろん大切です。そして、それと共に何よりも、生活のただ中で、一つ一つの出来事にみ言葉を試み、実践し、活用し、心の筋肉を強めていくことです。信仰の実体のみが、信仰生活の勘どころです。
日々、コツコツと積み上げ、鍛えていくことに、つい億劫になり、消極的になりがちですが、
「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(Ⅱコリント4・16)
このみ言葉の確かさに支えられて、祈り、内なる力(霊力)に満たされて、今週も前進してまいりましょう。

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