2002年1月の霊想

  三つのキリ (1月6日)

 板を削るのにカンナを、穴をあけるのにキリを用います。あなたの人生に、新しい天来の空気を入れる穴をあけるためには、三つのキリ、踏み切り、割り切り、思い切りが勘どころです。
 踏み切り。どんなに良いアイデアがあっても、決断をしなければ、生涯同じ所に留まることになります。「もう少し立派になったら」「このようになったら」と躊躇せず、一歩前進してみると道が開かれてくるものです。踏み切りの良い歩みを心したいものです。
 割り切り。物事がなかなか思うようにいかないと、つい、イライラし、忍耐に欠けることがあります。人に何と言われようと、状況が変わろうと、主が必ず成してくださることを信じ、主を仰ぎ見つつ、割り切って待つこと、これが大切なポイントです。
 思い切り。「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」(ヤコブ1・15)とあるように、思い切りが悪く、欲を張り、一部を切り捨てられず、全体から大局的に考えないと、すべてを失うことがあるものです。思い切りの良さは、人生の要所要所で問われる大切なポイントです。
 これらの三つのキリは、日々のみ言葉と祈りによってさらに歯切れ良いものとなります。

  愛 と は …   (1月13日)

 窓にこびりついた霜を取る時に、ナイフで削ろうとする人がいます。しかし、きっとあなたは、ストーブに火をつけて、部屋が暖まると共に霜が消えていくのを待つ方法を用いられることでしょう。このぬくもりこそ、人生で最も大切な愛に他なりません。
 日本で、『愛』という言葉が市民権を得るまでには、ずいぶん時間がかかりました。仏教国日本では、愛とは『愛欲』を意味し、煩悩の源とされたからです。そのため、日本に宣教がなされた初期の頃のクリスチャンは、神の愛を「神のご大切」と訳しました。
 作家の二葉亭四迷は、親に「くたばってしめえ」と勘当されたことから、そのペンネームを使うようになったそうです。彼は、「アイ・ラブ・ユー」を「死んでもいい」と名訳しました。
 聖書は、愛の定義を「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15・13)と記しています。
 今週も、イエス様の十字架の死を仰ぎつつ、友のために死ぬこと、すなわち、身近な人に対して損をする、犠牲を惜しまない、そんな歩みをしていきたいものです。

  生きるということ (1月20日)

 生き方には三通りの考え方がありますが、あなたはどの生き方をしていらっしゃいますか。
 存在し続けるためには、成長しなければならないと考える人がおられます。しかし、「さらに上に」という考え方は、やがて行き詰まります。また、存在の拠り所を成長に置くと、燃えつき症候群の仲間入りということになります。
 存在し続けるためには、変化しなければならないと考える人もおられます。川の流れのように、すべてのものは、存在する限り何らかの変化をしています。しかし、この生き方は、下がれば惑い、上がれば得意になるという人生になりますから、いつも不安と隣り合わせに生きることになります。
 存在し続けるためには、交わりを生きることです。クリスチャンの方は、どのようなことがあっても、「今は恵みの時」と、神との交わりの中を生きることです。時には、谷底に、時には山の中腹に、また、山頂にと、人生には様々な出来事がありますが、神様との交わりを生きる人は、「やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます」(詩篇一三九・一二)。
 この生き方こそ、本道です。今週も、心してまいりましょう。

  味わい深い人生への招待状 (1月27日)

 不景気で、「世の中の動きが鈍くて大変だ」とぼやく方がおられる一方、与えられた自分の状況の中で、知恵が与えられ、このような時代だからこそ、逆に前進している方がおられます。
 最高級のサバとして有名な関サバを取り扱っておられる卜部俊郎さんは、海で捕れた魚を、東京まで、どうしたら新鮮なまま数多く運ぶことができるか、と考えていました。ある時、テレビで中国の針麻酔の技術を見て、はっと気づいたのです。そして、多くの試行錯誤の後、魚に針を打ち、眠らせる方法を見いだしました。それまでに二千匹の魚を犠牲にしたそうです。見いだすまであきらめない、そのチャレンジがあって、海辺で食べると同じ味を都会でも味わってもらうことができたのです。
 人生には多くの試練があります。しかし、試練は神様から与えられる最大の贈り物です。試練から宝を見いだし、さらに豊かな、深い人生の味わいを見いだすための良き招待状です。
 さて、あなたは、日頃の生活の中で何に集中し、考え続けておられますか。どのような試練の中でも、決してあきらめないで、天来の知恵をいただいていきたいものです。今週もご一緒にチャレンジしてまいりましょう。

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