2002年2月の霊想

  無限大の生き方 (2月3日)

 無から有を呼び起こされる神を信頼し、限りある人生の中でも、無限大に成長していく喜びは、主にある者の特権です。
 しかし、その成長を阻む最大の敵は「言い訳」です。
 物事がうまく進まない理由を他人や状況のせいにし、いつも言い訳を見いだしていると、大切なものを見過ごすことになります。言い訳をしないで生きると、神様との交わりの中で無尽蔵のエネルギーや知恵をいただき、あなたでなければならないすばらしい生き方ができるからです。
 こだわり、考え、考え続け、考え抜くということは面倒くさいこと、時には疲れるものです。しかし、成果の上がる努力で疲れないものは何もありません。そして、この疲れは、大きな収穫をもたらしますから、後に、心地よいものとなり、振り返って、その試練の旅路は、自らの宝となります。
 今は不景気だから、今は冬だから、自分は若いから、年をとったから等々、言い訳を言わないことです。どのような状況でも「主にあって、その偉大な力によって、私は何ができるだろうか」としっかり考え、考え抜き、実行していきたいものです。今週も、豊かな実りへと挑戦いたしましょう。

  IT伝道  (2月10日)

 「IT(情報技術)の時代」と言われます。この流れは速度をさらに増し、深められていくことでしょう。ある学校では、全員にパソコンを持たせているなど、日常の関わりには欠かせない武器になりつつあります。
 そこで、伝道においてもこれを用いるところが多くなり、インターネットを用いての伝道がどのようになされているか、日本基督教団に属する教会を対象に調査がなされました。
 特に、このことに積極的に取り組んでおり、アクセスの最も多いホームページとして、米沢興譲教会が『教団新報』という新聞の一面に、写真入りで大きく取り上げられました。これも、このことに献身的に関わってくださる丸山芳浩先生をはじめ、多くの方のご協力によります。そしてすでに、このホームページを通して教会に来られ信仰の糸口となさった方もおられます。
 時代の流れに巧みに対応しながら、変わることのない福音の確かさを、ホームページのみならず、様々な方法で伝えていきたいものです。
 何よりも、IT等の知識や情報を越えた、あなたの教会に対する熱情と愛がこのような形となり、私たちの教会がその最先端を行っているとの励ましを受けたことを深く覚えたいものです。

  信仰の人 (2月17日)

 ベトナム戦争で両足を失ったボブ・ウィーランドさんは、その障害を乗り越え、両手で、アメリカ大陸を実に三年八ヶ月六日かけて横断しました。砂漠や雪の中、約五百万回も腕で漕いで成し遂げたのです。
 人々が「なぜ、そのようなことをするのか」と問う時に、「二本の腕でアメリカを横断した人はいない。ぼくの姿を見れば、みんな、『何だってできる』と勇気が湧くだろう。『そうだ。ぼくは人に勇気を与えることができる』と思った」と語りました。
 あなたにも試練や障害があるでしょう。しかし、それを乗り越える時に、どれほど多くの人々が、その試練の深みに倍加された慰めや励ましを受けることでしょう。
 では、これを成し遂げることのできる勘どころは何でしょうか。
 ウィーランドさんは、時のレーガン大統領に招かれました。その折、大統領から「あなたのこの困難な旅を成功させた強さはどこから来るのか」と尋ねられ、「私は普通の人間です。でも、私にはいつも神が共におられ、その信仰が私の支えです」と明快に答えました。彼の本の最初のページには、ルカ1章37節のみ言葉が書き込まれています。それは、「神にできないことは何一つない(新共同訳)」です。私たちもこのみ言葉を、今週一週間の歩みの力としてまいりましょう。

  祈りの不思議 (2月24日)

 クリスチャンの特権は、神様との深い交わりの時、すなわち祈りの時です。
 私たちの内にある多くの求めを神様に申し上げる時、熱心に求めることがコツであることを、聖書は、繰り返し語ります。
 三角を望んだのに四角が与えられたり、右を願ったのに左を示されることがあります。それにもかかわらず心の平安があるのは、祈りの大変不思議なところです。これは、ちょうど、波止場で小舟が岸壁にたどり着く様子に似ています。まず岸にロープをかけて、たぐり寄せます。そして、舟から見れば、一生懸命、岸を舟に引き寄せようとします。岸を舟の方に引っ張っているにもかかわらず、岸の方は少しも動くことなく、舟が完全に岸に吸い寄せられていきます。
 熱心な祈りとは、この小舟と岸のようなもので、神様に祈り求めていく時に、願いは叶わなくても、思いをはるかに越えた最善がなされ、その願いが深いところで叶えられるのです。祈りの勘どころはここにあります。
 今週も、祈りの人として歩んでまいりましょう。
「わたしたちのうちに働く力によって、わたしたち が求めまた思うところのいっさいを、はるかに越 えてかなえて下さることができるかた」
(エペソ3・20)

-

© 2024 Yonezawa Kojo Church