2003年03月の霊想

  人格との出会い (3月2日)

  五年前にお父さんを天に送られたEさんは、不登校となり、交友関係も悪く、荒れに荒れていました。お母さんにいつも当たり散らし、それを見かねたおばあちゃんが「そんなにいじめると、活性酸素がたまって、病気でお父さんのように死んでしまうぞ」と言ったそうです。
 最近、驚くほど対応の違うお母さんに、「おばあちゃんがそう言ったけれど、お母さん、本当に死んでしまうの」と聞きました。以前のお母さんなら「お前の態度が変わらなければそうなるかもしれない」と必ず返していたそうですが、「お前がつらいからお母さんに当たるんだね。でもそのつらさを受け止めることでお母さんが死んでお前が生きるならお母さんの本望だ」と、あたたかく、力強く語られました。Eさんは高圧電流が体中を走るような衝撃を感じ、お母さんがどうして変わったのか不思議でなりませんでした。ほどなくして、それはお母さんが教会に行き出してからであることを思い、ご自分も教会に来られるようになりました。
 Eさんは、今や、お父さんを失った寂しさを天のお父様との関係の中に生き、人生を着実に、確実に立て直しておられます。
 個人的、人格的に神様と出会うお一人びとりであることは、何とすばらしいことでしょうか。

  伝道成功の秘訣 (3月9日)

 人生で最もすばらしいことはなんでしょうか。富を得ること、健康であること、よき人間関係を深めることなど等、様々あるでしょう。しかし、尽きることのない喜びは、最も大切な福音を他者に述べ伝えることです。
 では、どうすれば伝道が出来るのでしょうか。
まず第一番目に、伝道したいと願う人の信頼を勝ち取ることです。信頼関係はちょうど橋のようです。橋が途中で切れていては向こう岸に渡ることが出来ないように、どんなすばらしいものをあなたが持っていても、相手との信頼関係が希薄であると、心の架け橋が途中で切れているために、相手に伝わりずらいのです。信頼関係をしっかり勝ち取っていることが第一条件です。
 第二は、あなた自身が信仰に対する強い確信があることです。自信が無いものは、かえって不安となって相手に伝わっていきます。あなた後自信が人生を変えられた恵みをしっかりと思い起こしていくと、その確信は多くを語らずとも相手に伝わっていくものです。
 最後に、時間も、特に財も、全力投球でそこに注ぎ込むことです。片手間的ではなく、イエス・キリストがあなたに命を賭けてくださったように、情熱を持ってすれば、必ず、福音は伝えられていくものです。
 今週は特に、福音を宣べ伝えることに心しましょう。

  なぜ今、癒しブームなのか (3月16日)

   今、日本中が、老いも若きも「癒し」という道を歩い ているかのように見えます。癒し系の商品と共にペットも人気で、ペットフードの輸入量が過去最高とのこと。町では、アロマセラピー、リラクゼーション、フットケアなど、女性ばかりかとのぞいてみると男性も多く見かけます。自然の音や素朴な楽器等もブームのようです。
 人はなぜこんなにも『癒し系』を求めるのでしょう。
 競争と忙しさ、個人主義。いつも緊張があり、人々が疲れている時代と言えるのかもしれません。
 「癒す」の字源は「兪」で、手術刀を表し、苦痛が切り取られることを意味します。また、英語では "heal"(ヒール)と言い、「全体を取り戻す(to make whole)」の意です。現代の癒しは身体中心に見られますが、本来の癒しとは、人間が全体のバランスを取り戻すこと、何よりも、存在・いのちそのものの確かさの確認と言えます。中世ヨーロッパでは "heal" はイエス・キリストを意味し、「健康(health)」の語源でもあります。
 聖書は「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(Ⅱコリント4・16)と言います。外からの刺激ばかりでなく、神様としっかり交わる全体の回復こそ、本物の癒しなのです。この癒しを体験し、人々にも宣べ伝えましょう。

   

  ニューエイジ思想について (3月23日)

 今日、キリスト教と非常に間違われやすい考え方に、ニューエイジ思想があります。ニューエイジ思想の人々は可能思考を説き、「人間はすばらしい、大丈夫、どんなことでもできる」と、人々に励ましを与えます。一見、私たちの米沢興譲教会のメッセージと似ているので、うっかりすると誤解を招きます。 しかし、聖書の教えとはまったく相反するものです。
  ニューエイジの考え方の根底は、神への反抗で、すなわち、人間が神となることですから、聖書の教えとはまったく異なります。ニューエイジの思想には、根底に人間中心のヒューマニズムがあります。最終的に人間は神のようになれると教えます。聖書抜き、イエス・キリストの福音抜き、聖霊様の導き無く、人間の無限の可能性を説きます。
 聖書は、人間は神の作品であり、無尽蔵の可能性の中に招かれていると語ります。しかし、それは、罪人としての人間が罪を認め、イエス・キリストを救い主と信じイエス・キリストを通して神と直結する時のみ、その祝福は可能なのです。
 キリスト抜き、神抜きの可能思考は人間を傲慢にし、最も大切な愛、謙遜は生まれません。
 今週も、本物を磨いてまいりましょう。

  物事は後が肝心 (3月30日)

 家電リサイクル法が施行されてのち、テレビの分解、リサイクルをしている工場を見学した人の話です。
テレビを製造する時には、ベルトコンベアの流れ作業で、一分間に百台組み立てることができます。しかし、解体の時は、ブラウン管を外すなど、手作業でしなくてはならず、一分間にせいぜい三台しか出来ない。
 このことは私たちに多くのことを語りかけます。
 物事を成し遂げたいと願い、早く結果を得ることに忙しい時代です。後のことを考えずにカードでお金を借り過ぎ、結果、返せないで自己破産する人が急増していると聞きます。何事においても後味をしっかりすることが大切のようです。
 さらに、物事を成した時には、やりっ放しではなく、その後をしっかりと始末することです。例えば、無理を言って平身低頭で頼みながらも、事が成った後には、充分なお礼の言葉に欠ける、というようなことのないようにしたいものです。説教も、聞いて、後は聞き流しでなく、大切なこと、聞いたメッセージを、一週間、自分の生活の中に取り入れ、しっかりと咀しゃくし、自分の血や肉とすることです。
 今週も心して歩んでまいりましょう。

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