2003年09月の霊想

  変えていくもの、変えてならぬもの(9月7日)

 宮崎県の幸島は四キロ四方の小さな島で、島全体が天然記念物に指定されています。この島は、サツマイモを海水で洗って食べる猿で有名です。
 この猿を大学の霊長類研究グループが追跡研究しています。研究者によると、人間が果物などを海水で洗って食べているのを見て、何匹かの小猿が真似し始めたと言います。しかしおもしろいことに、ほとんどの猿がサツマイモを洗って食べるのに、高齢の猿二、三匹だけは、過去の習慣の壁が厚いのか、死ぬまでイモを洗うことを拒絶したままだった。過去の経験が環境への柔軟な適応を妨害したのです。
 過去の豊かな経験は貴重です。しかし、不必要で変えてよいものが、依然として変わらずにみについているというのは、さながら船の底に着く蛎殻と同じです。放っておくと、水の抵抗を生み、船の速度を落とすことになります。
 「たといわたsbひたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(Ⅱコリント4・16)という聖書の祝福を得る秘訣は、祈りつつ聖霊さまの導きに従って歩むことです。
 変えていくもの、変えてならぬもの、その見分けの確かな1週間を送ってまいりましょう。

  真の孤独へ (9月14日)

 英語で「孤独」を、ロンリネス(loneliness)とソリチュード(solitude)、この二つで表します。
 ロンリネスは一般的に使う言葉で、ひとりぼっちでさびしいという感じ。ソリチュードは、全く異なり、人々や、雑音、喧騒の世界から離れ、静まって本当の自分を感じとることを意味します。「集団の中の一人」ではなく、無限と大自然、そして永遠の世界とつながっている世界、それがソリチュードです。
 現代人のロンリネス(不安と寂しさ)は、ソリチュードの時間をほとんどとらないところから来ます。ロンリネスを感じるのは仲間がいないからではありません。心の底からのコミュニケーションがないからです。
 同じ孤独でも、ロンリネスとソリチュードではその意味するところは大変異なります。しかし、両者は無関係ではなく、むしろ、深い関係があるのです。
 ロンリネスに陥って寂しくなる時、そこから逃げないのでソリチュードの世界、すなわち、神との交わりの時をお持ちになることです。ひとりではなく、神と共に生きるすばらしさを味わうことができるからです。
 今週も、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46・10)と招かれているソリチュードの時を豊かに持てますように・・・・・。

  信仰の確信 (9月21日)

 今春、米沢興譲教会に三浦光世先生が来てくださったことは記憶に新しいことです。語られたメッセージもすばらしかったのですが、それ以上に、先生がそこに立っているだけで、大きな慰めとエネルギー、そして、確信を私たちに与えてくださいました。
 光世先生のそのぬくもりはどこから流れ出るのでしょうか。その答えが三浦綾子さんのエッセイ『信仰で結ばれた愛』に記されています。
 光世先生が綾子さんと結婚の約束をなさった頃のことです。光世先生は、訪問の度に、病に伏しておられた綾子さんに聖書を読み、讃美歌を歌い、そして、祈られました。しかし一方、綾子さんのお父様は、「葬式を出さなきゃならぬ」と覚悟を決めておられたようです。そのような状況で、光世先生は、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」と色紙に書き、「必ず治ります」と確信に満ちて語られました。「それは驚くべき言葉だった」と綾子さんは記しています。
 事実、十三年間も寝たきりだった綾子さんが、立ち上がられたのです。やがて、『氷点』を書かれ、お二人はすばらしい証し人としてお立ちになりました。
 その背後に、光世先生の信仰の確信があったことを、私たちも心にとめ、倣っていきたいものです。

  リーダーとして心すべきこと (9月28日)

   あなたもリーダーの立場に立たされることがあると思います。人が二人集まれば、どちらかがリードする必要があるからです。
 そのリーダーについて、徳川家康が亡くなる直前に書いたと言われる、興味深い文章をご紹介します。

《大将のいましめ》
  「大将というものは、敬われているようでその家来に絶えず落ち度を探られているものだ。恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものじゃ。大将というものは絶えず勉強せねばならぬし、礼儀もわきまえねばならぬ。 良い家来を持とうと思うなら、わが食減らしても家来にひもじい思いをさせてはならぬ。自分一人では何も出来ぬ。これが三十二年間つくづく思い知らされた家康が経験ぞ。家来というものは禄でつないでならず。機嫌をとってはならず。遠ざけてはならず。近づけてはならず。 怒らせてはならず。油断させてはならぬものだ。『ではどうすればよいので』。家来に惚れさせねばならぬものよ」。

 文中の『大将』をリーダー、あるいは、夫、妻、嫁、姑、上司等、あなたの状況に置き換えて読みなおすと、示唆に富んだものを得ることができるでしょう。

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