2005年2月の霊想

  やさしさと強さ (2月6日)

  「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
                   (ルカ10・27)

 国民的な大ヒットとなった『冬のソナタ』。監督を務 めたユン・ソクホ氏自身、日本でこれほどまでのブーム になったことに驚きを隠しきれない様子です。
 その理由は、戦後、ただひたすら、弱いよりも強く、遅いよりも速く、復興から発展へ、高度成長を強力に推し進めてきた日本の現状と、そこに生きてきた人々の必要に応えたものだったからでしょう。特に、五〇代以上の女性に共感を得たそうですが、ただひたすら走り続けた人生に、ふと立ち止まり、安らぎ、やさしさを求める思いは、あなたも理解に難くないでしょう。
 しかし、やさしさと強さは相反するものではありません。小学校の掲示板に「強くてやさしい男の子。やさし くて強い女の子」とありました。強さもやさしさも一つのいのちであり、表裏一体のものなのです。
 現代人は、架空のドラマを通してでもやさしさと強さを求め、その深みを増していきたいと切望しています。  しかし私たちには確かなモデルがあります。私たちのために十字架にかかってくださったイエス・キリストで す。十字架上のキリストにこそ、究極のやさしさと強さが具現されています。
  目ざすべきモデル、共におられるイエス・キリストにならい、今週もしっかり歩んでまいりましょう。

  真に重要なもの  (2月13日)

 自分の主張が客観的に見ても正しいのに、人間関係が不十分だったために大勢の人が反対者の方に賛成し、自分の計画が却下されることがあります。このような経験をすると、「世渡りは、何が正しいかというよりも、人間関係を大事にする方がうまくいく」と考えがちです。これは一般的日本人の考え方、生き方です。政治的にも経済的にも混迷し、世界にあって日本人が今ひとつ迫力に欠けるのは、このような生き方のゆえと言うことがで きます。もちろん、情もないがしろにできません。しかし、善悪よりも人間関係の方が大切、という行き過ぎた考え方にとらわれないことです。一時的にうまくいっても、長期的にはうまくいかないからです。
 小説家の遠藤周作氏は、「高山右近だけは書けない。彼の生涯に欠点を見いだすことができないから」と言われました。そう言わしめたほど、高山右近はどのような状況にも決して流されることなく、キリストに対する忠誠を生涯貫き通したからです。当時の宣教師は、その生き方に感動し、偉大な日本人として、最も早くヨーロッパに紹介し、彼を題材とするオペラなども書かれたほどです。
 親しくあると共に、公正であることの重要さも心にとめたいものです。

  人はなぜ過去をくり返すのか (2月20日)

 習慣(癖)は、身につくとあまりにも自然で、自分でも気がつかないことがあります。その一つに、〈過去をくり返す〉という習慣があります。「もう、こんなことはやめたい」と思ってやめても、また同じことをしている、ということはあなたにもありませんか。
 アルコール依存症の親で苦労した人は、結婚をする時に、また同じアルコール依存症の人か、その反動として一滴もお酒を飲まない人を求めがちです。これも、過去をくり返している例です。人は、満たされなかったものを満たそうとして同じことをくり返すのです。しかし、どのような出来事も、くり返しても決して満たされません。なぜなら、いつも偽物で自分を安心させようとするからです。
 Aさんも、苦労して20キロもダイエットしたのに、ほどなくしてリバウンドするというくり返しです。ところが、愛情の欠如を「食べる」ということで補っていることがわかりました。そして、真の解決策である神様の愛に出会い、リバウンドせずにすむ、つまり、くり返しの習慣を断ち切ることができたのです。
 あなたにも、何かくり返していることがあったら、本物に立ち返ることが最終の最善の答えであることを見いだすことでしょう。

  豊かな人生の秘訣 (2月27日)

 限りある人生を豊かに生きる秘訣は、深く反省すること、聖書的に言うならば、自分が罪人であり、神のもとを離れ自分勝手に生きてきたことを自覚することです。
 罪の自覚を深めるためにいくつかの方法があります。  

一、律法による指摘
 どの時代、どの国民にも適応できる物差しで、相手の不十分さを指摘する方法。しかし、不完全な人間は、物 差しを当てられれば当てられるほど傷ついていきます。  

二、時代の常識
 善悪の基準やその時代の常識を物差しとする方法。心の病気の定義もその時代の標準で決定します。しかしこれは一般性がありません。  

三、罪が罪を指摘する
 自分が神に成り代わり、本来不十分な人間(罪人)が相手を不十分であると指摘する方法。強い方が勝ちですから、この生き方は戦争を生み出す元になります。  

四、愛をもって真理を語る(エペソ4・15)
 外側からではなく、相手本人を主軸とする方法。人間は神の作品であり、すばらしい存在であることを前提とし、天国の窓を通してすべての人を見る方法です。この方法は、照らし出されれば出されるほど、小さな罪にも気がつき、「ねばならぬ」ではなく、「したくなる」思いを引き出します。

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