2005年3月の霊想

  仮説と検証  (3月6日)

 不景気、と言われている時代です。しかし、そのような世相にもかかわらず、躍進している会社がいくつもあります。
 しのぎを削るコンビニ業界で躍進を続けるA社は、安売りの時流に逆行し、「高くても良い物は売れる」という仮説を立てました。それを立証するために資料を調べたりしましたが、過去の歴史、事例からは立証するに価する記事は発見できませんでした。
 未来は自らで切り開くしかありません。そこで、試行錯誤しつつも、お客様に認めていただけるチャーハンの試作に一年半もかけました。すると見事にそれが当たったのです。
 仮説の立証をするために人に聞いても、益は少ないものです。人頼みは当てにならないのです。例えば「百円のおにぎりを二百円にしたら、買いますか」とアンケートを採ったとしても、人は、実際に目の前にない物事に対して回答することはできないからです。
 未来に対し、ご自分の人生に対し、祈り抜き、考え抜き、良きビジョン(仮説)を明確にすることです。そして、それに果敢に挑戦し、改善し、試練の時代だからこそ、そのように生きるのです。そのような人は、必ず、人生の確かさ豊かさを自分のものになさいます。

  歩き方  (3月13日)

「そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き……」           (エペソ5・15)
 日本には、様々な歩行術があります。能や相撲の〈すり足〉、体力の消耗を防ぐという〈忍者歩き〉、大和撫子がたしなみとした優雅な〈内股歩き〉、時代や文化、さらにはライフ・スタイルまで含まれています。
 日本語には、この〈歩〉という文字を使った表現、単語や語いが非常に多く、散歩、遊歩、万歩、歩調、進歩 など二三〇語以上もあるそうです。
 しかし、ウォーキング(walking)という英語は、日本語と違った意味合いがあります。歩くというよりも健康志向の〈歩行術〉というニュアンスが強いのではないでしょうか。一説によると、日本には犬の散歩まで含めて四三〇〇万人のウォーキング実践者がいると言います。
 それでは、どのように歩くことが体にも心にも良く、霊的健康になるのでしょう。
 聖書は様々な歩き方を私たちに示します。「信仰によって歩く」(Ⅱコリント5・7)、「御霊によって歩く」(ガラテヤ5・16)、「光の子らしく歩く」(エペソ5・8)、「イエスにあって歩く」(コロサイ2・6)等々です。
 さて、今週のあなたの歩みは……。

  心と頭の柔軟体操  (3月20日)

 「怖いのは年をとって筋肉が固くなることより、頭が固くなること」。これはイチロー選手の言葉です。
 野球選手に限らず、スポーツ選手にとっては体が大切な資本です。しかし、人間の体は、年が進むにつれ筋肉が固くなり、思うように動かなくなります。ですから、スポーツ選手にとって資本である筋肉が固くなることは大きな試練に違いありません。ところが、「それよりも怖いことは頭が固くなることだ」と言うのです。
 年をとるに連れ、時代の急速な流れについて行けなくなり、流されるままか、あるいは、今までの古い自分の方法や思い、過去に拘泥したくなります。しかし、自分の成長はストップしても、現実世界は刻々と変化していきます。そのようなまわりの変化に対応するために、いつも頭や心を柔軟に、新鮮にしておくコツはどこにあるのでしょう。
 聖書は「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(Ⅱコリント4・16) と語ります。また、み言葉はあなたを生かし、無学な者を賢くする(詩篇19・7)とあります。み言葉に養われることが、あなたの内なる人の柔軟さ、新鮮さを保つコツです。今週もディボーション(み言葉による神との交 わり)をさらに深める一週間を送りましょう。

  イースターの朝に (3月27日)

クリスチャンの特権は、イエス様の十字架によって、罪から完全に解放されて自由となるばかりでなく、すべての出来事を宝に変えて生きることができ、さらに、復活の恵みにあずかることができることです。
 「死んですべてがおしまい」と考える人、「死後には輪廻の世界がある」と思う方々など、様々な死後に関する思想があります。私たちクリスチャンには、罪からの解放だけでなく、地上のわずかな生涯の後に、永遠の御国へと凱旋できる喜びがあります。そこは、死も悲しみもない、神と共なる歩みの世界です。
 復活信仰の恵みを得た者は、死後の希望だけでなく、この地上でも復活の信仰を体験できるのです。死、すなわち、「もうダメだ、不可能」と思う出来事に対し、神様に信頼し、直結し、神様から知恵、エネルギー、忍耐をいただく時に、死んでいた者が生き返り、活き活きとできるからです。復活信仰は毎日の生活の中で体験できる恵みです。
 その恵みを味わうために、しっかりとみ言葉に立ち、祈りのベルトを神様にかけ、「わたしはぶどうの木あなたがたはその枝」と、主と一体となって歩むことです。この復活の恵みは、イースターにのみにあるのではなく、人生の日々の歩みの中にあることを覚えてまいりましょう。

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