2005年9月の霊想

  自立型、それとも、依存型  (9月4日)

 あなたは《自立型人間》ですか、それとも《依存型人間》ですか。これからの時代は、自立型がより求められているようです。
 依存型の人が最も困難を感じるのは、自分が置かれている環境が変化する時です。変化を極めて恐れるからです。さらに、依存型の人は、「あなたの夢は何ですか」と問われても答えがないことです。寄らば大樹の陰で、その折々に、自分にとって都合のいい人や状況を捜し、そこにもたれかかって生きているからです。
 もちろん、ある意味で、依存型の生き方も必要かもしれません。しかしそれだけだと、何か起きた時に、乗っている船もろとも沈んでいくことになります。
 自立型の人は、孤独に耐えながら自分らしさをしっかりと磨きあげていく人です。ですから、その現実の向こう側に、大きな夢を描くことができます。花に例えるならば、自立型の人は、自分は何の花かを見い出し、スミレなら「最高のスミレとして咲き、生きよう」と、その人ならではの夢が生まれてくるからです。
 依存から自立へ、そのためには、人や状況ではなく、時代や環境は変わっても決して変わることのない神様に信頼(依存)し、自らの足で立っていくことです。自己点検し、考え、工夫していきたいものです。

  互いに助け合う  (9月11日)

 人より勝って生きようとすると、やがて競争へと発展します。
 最近話題になっている温泉町のことです。かつて、そこでは互いに競争し、自分の宿に客を呼び込むため、町から少し離れた所に看板を出すことを競い合っていました。そのために街道には看板が建ち並び、著しく景観が損なわれたばかりでなく、かえって人が敬遠するような温泉町になってしまったのです。しまいには、ある旅館では、一ヶ月の売上高が三万円台にまで落込むという状況にまでなりました。
 しかし、その温泉町で唯一お客さんが来る旅館のオーナーが、自分の経営ノウハウを全部公開し、助け合うシステムが生まれたのです。まず、軒並み並んでいた看板をみな外し、景観を良くするために樹を植え、露天風呂を作りました。さらに考え出されたのが『入浴手形』。
それは、どの宿に泊まっても、他の宿の露天風呂に自由に入れるという、画期的な、旅行者にとって便利なシステムです。すべての旅館が自分の利益よりも魅力ある町づくりに協力し、今では、どの旅館も三ヶ月以上先まで満室という人気です。
 互いに助け合う、そこに二千年前のイエス・キリストの真理が、具体的な形となって現されているのです。

  与えられた今  (9月18日)

 幸せの大切な鍵は、過去を振り返ることでも、まだ来ない未来に不安を抱くことでもなく、「与えられた今、この時が最高」と心に語り聞かせることです。
 「今、この時」に意識を注いだら、次は「自分が望んでいることは何か」ということを明確にすることです。私たちは、つい抽象的に願います。例えば、期日でも、「いつでも」「できるだけ早く」という言い方をしがちです。しかし、そうではなく、「五日の午後四時まで」と数値化することが大切です。
 ひとたび目的が決まったら、あれこれと思い煩わず、調子が乗っても乗らなくても、その時は雨でも嵐でも、とにかくやり始める、その第一歩が大切です。不思議なことに、嫌々始めたり、不調を感じながらスタートしたにもかかわらず、気が付くと軌道に乗っていた、ということもあるからです。
 このように実践し、繰り返す時、頭で得た知識ではない、あなたならではの知恵が大きな宝になることでしょう。

    「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願い
     を聞きいれ、救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵み
     の時、見よ、今は救の日である」
                             (Ⅱコリント6・2)

  毎日ビフテキをぱくつくより  (9月25日)

      「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、
       ごちそうと争いに満ちた家にまさる」(箴言17・1)

 これは、目も眩むような美しい宮殿に住み、超一流の料理人たちが、世界最高の食材を用いて作った三度の食事を食べ続けてきた、ソロモン王の言葉です。リビングバイブルでは、「けんかしながら毎日ビフテキをぱくつくより、冷や飯を仲よく食べるほうがましです」と、ユニークに訳しています。
 人は、目に見えるものによって人生が豊かになると考えます。しかし聖書は、真に人を富ませるのは神のみ言葉であり、み言葉に養われた魂の豊かさが、物質・経済・健康・人間関係を祝福すると約束しています。
 イエス様は、命のパンとなられた救い主です。

   「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢える
    ことがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」
                              (ヨハネ6・35)

 どんな状況においても、イエス様ご自身であるみ言葉のパンをいただいてまいりましょう。この命のパンは、日ごとのディボーション(み言葉の瞑想)によってあなたに与えられます。
 今週も、あなたのディボーションが、ビフテキを食べるよりもおいしいものとなりますように!

-

© 2025 Yonezawa Kojo Church