2007年9月の霊想

  試練は祝福への招待状 (9月2日)

 人生において、理不尽な仕打ちを受け、途方に暮れることがあります。しかし、そのような時にこそ、信頼すべき方にのみ自分の人生の土台を据える時、試練も宝に変えられていくのです。
 かつて、イギリスの宣教団体から、一人の宣教師がインドに派遣されました。彼を送り出した委員会は、細かい会計報告を要求しましたが、彼の決算書はいつも間違いだらけで収支が合わないため、委員会は彼を不適任として、免職にしました。
 不適切だったのは、委員会の彼に対する評価なのですが……。
 その後、彼は、本国からのサポートをまったく受けることなく、神様のみに信頼し、インドの地で宣教を継続しました。そして、それまで以上の尊い働きをし、地上での任期を全うし、天に凱旋なさいました。
 私たちにも、しばしば、地上の絆が断たれることがあります。しかし、そのことによって、真に神様との関係が強化され、本物の人生へと招かれていくのです。

     「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。
       地にはあなたのほかに慕うものはない。」
                               (詩篇73・25)

  能動的に生きる  (9月9日)

 日本人は、世界の中でも類い希な、物事に忠実な国民性であると、昔からよく言われます。
 狩猟民族のように、現状がイヤなら槍を持って山を越えるということができない農耕民族である日本人は、川の水を共有し、台風が来れば運命共同体として対処するという長い生活習慣があるからでしょうか。
 特に、「ルール(規則)は守るもの」ということに徹し、当然、「守る」という原則が日本人にはあります。
その反対は「破ること」です。
 しかし、西洋人にとって、「ルールとは作るもの」という考えがあります。そのため、日本勢にジャンプ・スキーの栄冠を奪われると、今度は、身長に合わせて板の長さを規定するなど、自分たちに都合のいいルールを押しつけ、日本人はそれに従うことになった、と言われています。
 日本人は今、受け身ではなく、もっと能動的に考え、生きる生き方を求められているのです。今週も、日本人としてのみならず、天国の市民として天来の知恵をいただき、能動的に前進してまいりましょう。

  敬老の日に  (9月16日)

 年が進むと、活力に満ちた若い時とは異なる弱さや衰えを覚えます。しかし、人生の最も円熟する時期でもあります。お年を召された方々と共に生きる時、生活の中で見落としている、時に見ようともしない、人間にとって最も大切なものを共に見つめることができます。
 「ただ少しく人を神よりも低く造って」(詩篇8・5)とは、完全な人はいないということであり、お年を召していようと、お若くあろうと、おのおのに欠けや弱さがあるのは、互いに思いやり、愛し合うためです。
 誰もが年をとり、御国へ凱旋する日が来ます。円熟期は、大学生が卒業を前に論文を整えるように、その最終期に向け、神様との絆を確かにし、自分を大切にすると共に、他者へのいたわりを確認・強化する時です。
 M・トケイヤー氏は、「老人の顔はその人生の詩であり、生き様の総決算」と言いました。総決算の時を、今迎えている人のため、また、やがてその日を迎える者として、敬老の日を意義深いものといたしましょう。

  「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」
                           (Ⅱコリント4・16、18)

  すべてが宝  (9月23日)

 人生にはマイナスや失敗はなく、すべてが宝であり、マイナスと思えることほど、より確かな宝であることを日々、確認したいものです。
 日野原重明先生は、医師となって初めて出会った《患者さんの死》から大きな宝を学ばれたそうです。
 結核で入院していた20歳くらいの女性が、死期の近いことを悟って、ふるさとに住む母親宛のメッセージを日野原先生に言付けようとしました。その時、日野原先生は、その魂の叫びに耳を傾けず、「そんなに気弱になってはいけません」と励ましたそうです。その後、女性は言付けることかなわないまま亡くなられました。日野原先生は、患者さんの最期の際に、その魂に心を向けることができなかったことを、悔いても悔い切れないとおっしゃいます。
 その記憶を、95歳になる今も多くの人々に語り、人々から感動を引き出しておられます。すなわち、20歳で亡くなられたこの女性は、今も地上にあって、多くの人々に生きるいのちを提供しているのです。
 すべてのものが宝になる。このような生き方、考え方を、今週もさらに深めて、あなたの生活の中でそれを見いだし、活用してまいりましょう。

  与える喜び  (9月30日)

 Aさんはクリスチャンになられ、人間関係が大きく変わったばかりでなく、特に、ご商売が飛躍的に伸びました。その理由を伺うと、キリストが生きられたように、『受くるよりは与えるほうがさいわい』を毎日の生活で具体的に実行なさっておられるとのこと。
 クリスチャンになる前は、どうしても自己中心で、それだけに不平不満、愚痴が多かったとおっしゃいます。
しかし、神様を信じ、知恵と力が与えられ、具体的方法も祈りによって教えられて、与えることの喜びを数多く語ってくださいました。
 たとえば、手紙などでも、手紙に【貸し勘定】と【借り勘定】があるとしたら、徹底して貸し勘定でやり取りすることを心がけておられるというのです。三通いただいたら五通、五通いただいたら八通お返しし、いただいたお手紙が毛筆書きの場合は、あまり字はお上手でないそうですが、心を込めて毛筆で書く。つまり、相手よりも少し多くお返しすることを心がけておられるとのことでした。
 「今まではまくこともせず、刈り取ることばかり。犠牲を払うことを惜しんでいた自分が、嘘のようだ」と話してくださいました。
 あなたの今週も豊かな祝福がありますように。

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