2008年7月の霊想

  ありのまま (7月6日)

 「ありのままでいい」という言葉を、「何もしなくていい」と解釈しているとすれば、それは正しい理解ではありません。
 たとえば、お化粧をしない〈素肌美人〉の方もいらっしゃいますが、上手なお化粧をされる人は、技巧の跡を感じさせない、自然な感じを周囲に与えます。そのように、〈ありのまま〉〈自然のまま〉とは、決して、一切手をかけないということではありません。
 茶道を開いた千利休は、「花は野にあるように」と教えました。それは、「野にあるまま」ではなく、野に咲く花の美しさと、自然から与えられたいのちの尊さに人の手を加え、花の美しさをさらに引き出そうとすることです。何もせず手をかけないでいることは、無造作、言い換えれば、手抜き。ですから、与えられた自分を最高に生きることからは、ほど遠いことになります。
 手を加えながらも「野にある」ように輝くために、何よりも、心配り、気配り、目配りが必要です。そしてその大本は、「神様によって、私ならではの、今、ここにある美しさが与えられている」という確信に他なりません。つまり、「ありのままとは、神と共に歩む」の一言に尽きます。
 今週も、心して歩んでいきたいものです。

  物探し時間節約法  (7月13日)

 人は、『物探し』に一日平均二五分の時間を割いていると言われます。一年にすると一五〇時間。約一週間の時間を、人生のゴミ箱に捨てているのです。探し物タイムは、さながら、貴重な人生の時間を奪い取る〈時間泥棒〉のようなものです。
 あなたも物探しを防ぐためにご自分なりの工夫をしておられることでしょう。たとえば、使ったら必ず元に戻したり、カードや保険証などを所定の場所に入れて置くように習慣づける等です。さらに、「物は必ずなくなるものだ」と発想を転換し、同じ物を複数個買っておく、という方法もあります。こうすれば見つかる確率が高いからです。車のスペアキーはその格好の例と言えます。
 探し物でも、特に心の平安・エネルギーを探す時間、すなわち、不安に過ごす時間は、物探し以上に多くの時間を費やします。
 平安探しの時間を防ぐ方法に、特別なことはありません。いつもみ言葉に触れ、触れ続け、祈るという習慣を身につけること。そして、物を余分に持つ方法と同じで、いつも心のエネルギーの残高を多くしておくことです。
そのためにも、日々のディボーションの時間を聖別し、何があっても、この時間を外さないことです。
 今週も、心して歩んでいきたいものです。

  人生登山の極意  (7月20日)

 最近は中高年の登山が盛んです。プロの登山家は、中高年層の登山家に、次のようにアドバイスします。
  
 一、自分の体重や、ザックを重くしない。
 二、競争をしない。
 三、自慢をしない。
 
 この三つは中高年の登山に限らず若い人にも共通し、また、人生の歩みにおいても同じではないでしょうか。

  一、自分の体重や、ザックを重くしない。

 つい、いざという時のことを考え、あれもこれもと抱え込んで重くなりがちです。しかし、あなたの荷を主にゆだねると、精神的に、霊的に身を軽くすることができます。               (詩篇55・22)

  二、競争をしない。

 競争が軽減されるだけでも、どれほど、心が軽くなることでしょう。競うのなら、他者とではなく、かつての自分より成長しようとすることです。(エペソ4・15)

  三、自慢をしない。

 競争するのは勝って自慢をしたいからです。しかし、自分を誇るのではなく、主を誇ることが人生登山の極意です。             (Ⅱコリント10・17)
 今週も、主にゆだねて、人生の山を喜々として登ってまいりましょう。  

  「一元に生きる」とは  (7月27日)

  私たちの教会の理念「一元に生きる」とは、「今は恵みの時」(Ⅱコリント6・2)のみ言葉に根ざします。
すなわち、「一元に生きる」とは、今の状況、この所は恵みであると受け止めて生きることです。しかし、人生、試練が襲いかかってきたり、無味乾燥な日々の繰り返しと感じることが多いのが現実です。
 にもかかわらず、「これは恵みの時」と信じてチャレンジする時に、イソップ寓話にある『農夫と息子たち』のような体験をします。
 ぶどう園を持つ農夫がいました。年を重ね、死期が近づいてきたため息子たちへ遺言を残しました。「実は、ぶどう畑にたくさんの宝が隠してある。私が死んだらぶどう畑を掘り起こし、仲良く分けなさい」。父の死後、息子たちはさっそくぶどう畑を隅から隅まで掘り返しました。しかし、必死で掘り返しますが何も見つかりません。息子たちはひどく失望しました。ところが、秋になり、彼らは驚くべき光景を目にしました。信じられないほどたくさんのぶどうが、たわわに実ったのです。畑を掘り返すことで、知らず知らずのうちに再び土壌に生命力が宿ったからでした。
 今日も、あなたに与えられた『今、この所』を感謝して生きる時に、神様が願う実りを得ることができます。
そして、すべてが益に変えられていくのです。

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