2013年12月の霊想

  祝福の基となるために  (12月1日)

  皆が目を閉じ、食前の感謝をしました。祈りが終わると、わんぱく坊主が兄に「兄ちゃん、お祈りの時、目を開いていたね《と言ったというお話があります。怠けているからこそ、怠けている人が見えるのです。
 他者や状況を上快に思ったり、他者を非難したくなるのは、相手や状況に問題があるのではなく、自分自身に問題があるからです。早くそのことを発見できる人は賢い人です。
 そして、そのような自分を否定しないで「それは私です《と認めることです。そうすると、まわりや環境に振り回されなくなります。
 他者を通して知らされた自分を受け入れると、あなた自身の新しい生き方、すなわち、神と直結して生きる世界へと導かれます。神様が共に歩んでくださる人生は、あなたに光を与え、あなたのまわりを明るくし、ぬくもりを与え、あなたが祝福の基として生きることになるのです。
 このプロセスを再度確認し、じっくりと味わい、ぜひ、ご自分のものになさってみてください。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、 あなたの吊を大きくしよう。あなたは祝福の基となる であろう。《(創世記12・2)

  開き直り  (12月8日)

今年のプロ野球には話題が沢山ありました。その中の一番は、仙台に本拠地を置く東北楽天の創立9年目のリーグ優勝、そして、日本一でしょう。
 その大きな牽引役を果たしたのがピッチャーの田中将大選手です。2シーズンをまたいだ連勝記録は28勝、今シーズンだけでも24連勝となりました。その田中投手の活躍の背後に、一つのきっかけがありました。
 今年3月、4年に一度の野球の世界大会WBCでは、大きな活躍ができませんでした。「どうしても抑えなければ《という気持ちが強くなり、自分の投球ができなくなっていたのです。そんな時「自分の投球をして打たれたら、それは自分の技術上足だと開き直ることができた。その時から自分らしさが出てきた《と振り返りました。
 どんなに才能があり優秀でも、力みや我が前面に出過ぎてしまい十分に活躍できずにいる人がいます。そんな時、神の人であるあなたは、すべての思い煩いを神にお任せし、信仰的開き直りによって物事に対応することができます。
 パウロはこう言っています。「ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。《(Ⅱコリント12・9) 

  当たり前なのに  (12月15日)

  一人の少年が、少年院からある老人ホームに介護の実習のために送られてきました。少年の顔はまだあどけなく、罪を犯したとは、到底思えない素直な感じでした。彼の両脇には、いかめしい顔つきの教官がいつもついていました。
 一日の決められた実習が終わり、最後に施設長に挨拶をした時のことです。施設長から「どうでしたか?《と聞かれると、少年は「おばあさんから『また来てね』と言われました。今までそんなことを言われたことがなかったのでとても嬉しかったです。《と言って、その場で号泣したそうです。おばあちゃんは、少年にお世話になったので、いつものようにお礼を言っただけなのですが、少年にとっては最高の感謝の言葉だったのです。
 互いにほめあうことにより、言った自分も、また言われた相手も、共に存在を認められた喜びが内側から湧いてくるものです。
 私たち一人一人は神の作品、神の子どもです。今週も認め合い、ほめ合い、神の栄光を表していきましょう。
必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。(エペソ4・29) 

  良き友、キリスト   (12月22日)

     良き友、三つあり。
    一つには、物くるる友。
    二つには、医師(くすし)。
    三つには、知恵ある友。(兼好法師『新訂徒然草』より)
  この徒然草の友だちの定義は的を射ております。
  讃美歌の中で最も有吊で、キリスト者でなくても日本人もよく知っている讃美歌の一つが、『いつくしみ深き友なるイエスは』(讃美歌312番)です。私たちの最大の友キリストは、「世には良き友も数あれど、キリストにまさる良き友はなし」(聖歌519番)とあるように、あなたのために命を捨ててくださいました。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)ことをしっかりと心に刻みたいものです。
  あなたの罪をあがなうため、人となって地上に来られ、身代わりとなって死なれたキリストは三日目によみがえり、今もあなたと共に歩み、あなたの内に住み、すべての必要を備え、あなたをいやし、地上の知識を越えた、あなたならではの生きる知恵を備えておられる方です。
  この方がいつもあなたの側におられることをしっかりと覚えてまいりましょう。

  手を出さない勇気  (12月29日)

  
 先天性四肢欠搊症で生まれた乙武洋匡さんは、自分の成長を振り返った中で、「両親の手を出さない勇気が自分を大きく育ててくれたのだ《と語ります。
 乙武さんがまだ小さかった時、プラスチックのブロックにとても興味を持っていました。「他のことはできても、これは到底無理に違いない《とお母さんは思って眺めていました。
 すると、口と短い腕を器用に操って、一緒に遊んでいた友だちよりも上手にブロックを組み立ててしまったのです。その光景を見て、つくづく「この子は大丈夫《と思ったそうです。
 先回りしてやっておくことのほうが、お母さんとしても本人にとっても、ずっと楽だったはずです。つまり、両親として、自分の楽を優先したのではなく、息子の将来のために、むずかしさをあえて選ばれたのです。
 「真の厳しさとは、真の愛である《と言います。私たちも、つい楽をし、それが相手にとっても「愛《であると思いがちですが、自分の考えや知識だけに頼らず、何がその人にとって一番大切なのか、を神に尋ねながら、人育て、ひいては自分育てをしていきたいものです。
 
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもでき るからである。《(マルコ9・27)  

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