2014年3月の霊想

  備えられている喜び  (3月2日)

   講演後、主催者とお茶をいただいている時、一人の青年が入室なさいました。彼は17年引きこもり、久しぶりの外出で「ひょっとしたら何か起こるのではないか《と期待を持ってこの講演会に来たとおっしゃいます。
 さて、あなたなら青年に何とおっしゃいますか。今日来れたことのすばらしさを語り、これを機会に少しずつでも自分の人生を前向きに進めて行かれるように、と勧めることも功を奏することが多いでしょう。しかし、時にこのような解釈は「今までの17年が×で、これから○の世界へ《と二元的な励ましにとらえるかも知れません。
 「せっかく17年間引きこもっていたのだから、もう少し引きこもりをなさるのも良いのではないか《と申し上げました。彼の驚いたような顔。まさか、そのように言われるとは思ってもみなかったのでしょう。今までもすばらしかった、これからもっとすばらしくなる、というプラスからプラスのメッセージが彼のその時の状況には最も良かったからです。
 ほどなくして彼は仕事を見いだし、あれから10年、今は会社の課長となられました。先日お目にかかった時、「17年は自分の大きな宝であった」と、試練を宝に、17年を喜びに変えておられる姿に感動しました。
 今週、あなたにも、喜びと感動が、すでに主にあって備えられているのです。

  前向き人生  (3月9日)

  世界には驚きの人が多くおられます。その一人がニュージーランドのボブ・エドワードさん、105歳です。今も車を運転し続け、運転歴は88年というから驚きです。
 3年前、左の腰を骨折した時、医師から「6週間は運転を控えるように《と言われましたが、「乗っているのはオートマ車だよ。右足一本で十分だからね《と言って運転を続けたそうです。エドワードさんが、けがにも負けず元気でいられるのは、毎朝の自宅のジムでのエクササイズを欠かさないこと、そして91歳になる奥さんと自分のために料理をしているからです。「実際のところ、あまり歳をとったって感じがないんだ《と、常に前向きなことばを語られます。
 前向きな言葉は、自らの心に元気と活力を与え、それにより前向きな行動が起こされます。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であ った。この言は初めに神と共にあった。すべてのもの は、これによってできた。できたもののうち、一つと してこれによらないものはなかった。《
                              (ヨハネ1・1~3)
 今週も、私たちを日々強くして下さる神に信頼し、前向きな神のことばを宣言し、置かれたところで創造的に歩んでまいりましょう。

  レント(受難節)の過ごし方  (3月16日)

 3月5日水曜日から、世界の教会はレントの期間として特別の思いを持って日を過ごします。
 『レント』とは、イースターの40日前、日曜日を除く水曜日(灰の水曜日)からイースターの前日(土曜日)までの期間のことを言います。そして、イエス・キリストのエルサレム入城の日から、イースターの前日の土曜日までの1週間を『受難週』と言います。
 40という数字は聖書に何回も出てきており、意味のある数字です。たとえば、モーセが民を率いた40年の荒野の歴史。ヨナがニネベの人々に40日以内に悔い改めを促したこと。イエス・キリストご自身が公生涯に入る前に40日間荒野で過ごし備えをなさったことなどです。
 キリスト者として、このレントの期間、食事の節制や祝宴を自粛したりします。伝統的には、3つのこと、すなわち、『祈り、断食、慈善』を通し、神様との関係強化のために用いられます。何よりも、節制の精神で自らを振り返る期間として時を過ごします。
 春を迎えようとする、しかし、まだ厳しさの残るこの日々の生活において、また、神様との関係においても、殊の外、このレントの期間を心に留め、あなたなりの方法で、今週も有意義に過ごしましょう。

  意外なところから   (3月23日)

  あなたはコーヒーはお好きですか? コーヒーは意外なところから発見されました。
 中東の羊飼いたちが、ヤギが一晩中眠らずにはしゃぎ回って困っていることを修道者に相談しました。それを聞いた修道者が原因を調べたところ、ヤギがコーヒーの実を食べていたことがわかりました。
 当時、修道者たちは修行場では長い祈祷をしていたので、どうしても居眠りをしてしまいます。どうしたら居眠りを防ぐことができるのか思案していたのです。
 そこで、このことにヒントを得た修道者がコーヒーの実を煎じて飲んだところ、大変効いて、眠気から守られ、祈祷ができるようになったそうです。そのため、最初は一部の修道者だけが用いる宗教的な秘薬として用いられました。後に一般民衆にも広がり、日本には江戸時代にオランダ人によって紹介されたと言われています。
 私たちも新しい気づきが与えられることにより、大きな広がりを体験することができます。それは、神様との関係の中にも言えることです。
 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがた   に近づいてくださるであろう。(ヤコブ4・8)
 充実した人生は、意外な気づきの中に秘められているものです。

  静かな境地   (3月30日)

  将棋の竜王戦第六局、羽生善治棋士と佐藤康光棋士の対局でのエピソードです。
 羽生棋士が先手であるにもかかわらず、開始後、数分たっても指しません。事前に先手に何を指すかを決めているはずですが、目を閉じ、何かを考えている様子。対局者の佐藤棋士が訝しげに見つめ、周囲に疑問の波が伝わり始めた時、ようやく羽生棋士が先手を指しました。
 後に、インタビュアーが羽生棋士に「突然、迷いが生じたのですか?《と問いました。羽生棋士は何と答えたと思いますか。答えは「いいえ、そうではありません。静寂が来るのを待っていました《。最も大切な先手を指す瞬間に「静かな心境《にこだわったのです。
 人生には様々な出来事があり、大きな決断の時や急な出来事や問題に直面すると、動揺してしまうのが常です。しかし私たちは、その時にこそ、自分の力や状況を超え、「静まって、わたしこそ神であることを知れ。《(詩篇46・10)が全存在に貫き通されているのですから、このみ言葉に従って静まると同時に、平安をすでに備えておられる恵みを味わいつつ、人生を歩いていきたいものです。第一とすべきものを第一とする、このことが、あなたの過去を宝に、現在に平安を、未来に確かな希望をもたらします。 

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