2014年4月の霊想

  ゆだね、聞き従う  (4月6日)

 日常生活の中で様々な人生の宿題に直面する時、「早く答えを得て楽になりたい《と思うのが人の常です。優柔上断で決断が鈊る事柄については、明快な選択ができるように、あなたも主にあって訓練をなさっておられることでしょう。
 しかし、聖書には相反する答えが数多く記されています。「父母を敬え」(出エジプト20・12)という言葉もあれば、「父母を捨てて」(マタイ19・29)という言葉もあり、「求めなさい」(マタイ7・7)という言葉もあれば「捨てなさい」(マタイ16・24)という言葉もあるように、人生、割り切れない状況に遭遇する時があります。「早く割り切り、解決を《と思いますが、かつて、文芸評論家の亀井勝一郎氏が「割り切りとは精神の弱さである《と喝破(かつぱ)しています。
 与えられた状況に対峙(たいじ)できるのは「右も左もすべて御手の中《という信仰があるからです。「右も左も主がお決めくださること《と、自分の知性・経験を大切にしながらも、最後は主にゆだね、天の声(御心)に聞き従うからです。我力を超えた決断、そして得た結果のさわやかさを味わうことができることこそ、クリスチャンの特権です。
 この恵みを今週も豊かに体験できますように。

  三部構成  (4月13日)

  一日が「朝、昼、夜《の三部構成であるように、人生の大部分がこの三部構成で成り立っているのを見ます。
 クリスチャンにとっての三部構成とは「死んで、生きて、実を結ぶ《に尽きます。
 「死ぬ《とは、イエス様が言われたように、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。《(ヨハネ12・24)とあるように、つい、わがままや我を通したくなりますが、祈りつつ、それを神様にお返しする、すなわち、死ぬことによって、新しい自分が芽生えます。
 なかなか台本通りには行きませんが、これをくり返し、くり返し、祈りつつ実践をしていくと、古きものが過ぎ去り、新しき人生(Ⅱコリント5・17)の変換が起こり、御霊の実を誰でも結ぶことができます。
 これが、人生の目的です。
 今週は受難週。すでにイエス様が私たちの罪のために死んでくださり、それゆえに生かされ、日々、実を結ぶことができる人生を備えてくださいました。私たちは、この三部構成の良き役者として、イエス様の受難とその恵みを覚えつつ、与えられた台本(人生)に沿って、励んでまいりましょう。

  イースターを生きる  (4月20日)

 イースター(復活祭)は主イエス・キリストの復活を記念する日です。紀元325年に「春分(3月21日)後、最初の満月の後に来る第一日曜日《がイースターと定められました。日本ではクリスマスほどなじみはありませんが、キリスト教では最大の祝日です。
  受難週の日曜日、イエス・キリストがエルサレムに入城すると群衆は喜び、棕梠(しゆろ)の枝を取って出迎えました。木曜日、弟子たちとの最後の晩餐で、主は上着を脱ぎ、彼らの足を洗いました。そして、金曜日に十字架にかけられ、3日目の日曜日に復活し、罪の結果であり、人間の最大の敵である死に勝利されました。
  あるご婦人がお医者さんから、精密検査の結果、重い病気であることを告げられました。しかし、その宣告にあまり驚かれる様 子がなかったので、お医者さんの方が驚かれ、「あなたは何か宗教をされていますか《と尋ねました。すると「はい、私はクリスチャンです《と答えられました。まったく恐れがなかったわけではないのですが、十字架で死んでよみがえられたイエス・キリストを信じ、おゆだねした時、心に平安が満ちてきたのです。
  死を打ち破り、永遠の命への道を開かれたキリストの力をいただき、今週も地上でのあらゆる出来事で神の恵みを味わい、人々にもお分ちしてまいりましょう

  何を見て生きるのか   (4月27日)

 あなたが画家なら、良い絵を描きたいと願うでしょう。そのために、どのような方法があるのでしょうか。  著吊な画家が「なぜパリに行くのか《と問われ、「パリには優れた美術学校がたくさんあり、また、優れた作品を所蔵する美術館が数多くある。パリには本物の絵がたくさんあるからだ《と答えました。
 しかし、皆、パリに行くことはできません。
 レオナルド・ダ・ヴィンチは、「普通の画家はすでに描かれた絵を見て学ぶ。しかし、さらなる画家は、自然を見て学ぶ。《と言いました。
 良きクリスチャンの先輩は、私たちに励ましを与えます。しかし、人には限りがあり、また、時に失望することがあります。
 ダ・ヴィンチが言うように、すでに描かれた絵(人)ではなく、自然、すなわち、神様の被造物すべて、否、すべてを造られた神様ご自身に目を向けて生きる時、私たちは、自分ならではの人生を、夢を、希望を、信仰を抱いて生きることができるのです。
 「あなたの信仰があなたを救った《(マタイ9・22)とあるように、一日一日の主にある確かな歩みが、あなたの生活の実体となり、神様を賛美する素晴らしい作品(人生)を描き続けていくのです。

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