2016年9月の霊想

  弟子訓練 (9月4日)

 日本の歴史ある古い建物を手掛ける『宮大工』という職業があります。一人前になるまでの目安は10年だそうです。
日本を代表する宮大工、小川三夫さんの職場では、学歴はいっさい関係ありません。大卒の人もいれば、中卒の人もいる。仕事を辞めてきた人もいます。「大工の仕事というのは、言葉で教えることができないところがある。技術は体の記憶だから。だからこそ、弟子を一人前に育てるには、昔ながらの徒弟制度しかないと、俺は思うんだ」と小川さんは言います。
イエス・キリストも、伝道を始められた時、弟子を12人選ばれました。「さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』。」(マタイ4・18~19)。彼らはイエス・キリストと共に生活し、体で学んだのです。
あなたもイエス・キリストの愛弟子となり、日々、生活のただ中での実践を通し、体で神様にある生き方を学びましょう。

  真似て見習う(9月11日)

 生物が持つ優れた能力を研究し、製品開発や暮らしに利用する研究を「生物模倣(バイオミメティクス)」と言います。実際、生物の特徴を真似て作られた物は、既に多くあります。
例えば「サメ肌水着」です。これは、生地の表面にサメのような細かい溝をつけ、水の抵抗を抑えた水着のことで、実際国際水泳大会でも使用されています。
また「カワセミ新幹線」は、カワセミが水中の魚を取る時に水しぶきがほとんどあげないことをヒントに、くちばしの形をまねて新幹線の車体を開発し、トンネルの出口での騒音を抑えることに役立っています。
「真似て見習う」という言葉には、「学ぶ」という意味もあります。私たちが、創造主がすでに造られたものを学び(研究し)、真似て見習うことを通し、生活がまったく新しく変えられていきます。
イエス・キリストは、「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」(マタイ11・29)と言われました。 イエス・キリストの生き方を「真似て見習う」ことにより、心に平安と休みが与えられる新しい人生が始まります。

  三つの目(9月18日)

一、 自分の目
不確かな人生を生きている時、それは、他人からの情報、他人の目で見たものを自分のものにしていることがよくあります。
「隣りの家に幽霊が出る」と聞いた少年が、懐中電灯を持って確かめに行きました。すると、大きなシーツが干してあるのを見て、恐れから解放されました。
自分の目で見る生き方を身につけたいものです。

二、もう一人の自分の目
つらくなったり、困難に遭う時、少し離れた距離から自分を見るのです。
無医村に行き、そこで働かれた医師の伝記に感動し、ご自分も医師になった方がおられます。
もう一人の自分の目を養い、その目で見ることを習慣づけることは、あなたの人生を豊かにします。

三、 神様の目
究極は、神様の目で見る生き方を養うことです。
自分自身に失望し、落胆する時、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43・4)の言葉に立ち返るのです。

どれほど多くの人がこのみ言葉で人生を建て直し、確固たる人生を築いたことでしょう。
今週も、三つの目を養っていきましょう。

  怒りを静める(9月25日)

 最近、高齢者による暴力が急増しているそうです。
暴力の背景には怒りの暴発があり、その原因は二つあり、その一つは加齢による脳の萎縮です。感情をコントロールする大脳の前頭葉と側頭葉は、年が進むに伴って委縮するからです。二つ目は、退職し、仕事や地位など失うものがなくなり、抑制がきかなくなってしまうからです。
怒ることは人間の反応として当然の感情です。怒りのエネルギーはとても大きく、抑制するのはよくないそうです。大切なのは、怒りを適切に表現することです。
怒りはどこからくるのでしょう。
怒りは「相手を許せない」という感情と「相手にこうしてほしい」という要望で構成されています。感情が主で要望が従の関係にあります。上手な怒り方は、要望を主にすることです。
そのためには、感情にのみ込まれないようにし、強い怒りの感情が湧いてきたら、その場でゆっくり呼吸するのです。その上で、相手に伝えたい要望を落ち着いて伝えることです。

「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤った ままで、日が暮れるようであってはならない。」(エペソ4・26)

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