2020年10月の霊想

ノーベル賞秘話(10月4日)

あなたが否定され、ひどい悪口を言われる時、どのような反応をなさいますか。そのような時こそ、天来の利器「試練は宝」を活用できることは大きな喜びです。
 ノーベル賞がどのようにしてできたかをご存じの方もおられるでしょう。
 アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトをはじめ、数々の爆薬を開発し、それによって多くの富を得ました。しかし、爆薬や兵器で富を得たノーベルに、一部から批判の声が上がっていました。
 ノーベルの兄が亡くなった時、兄の訃報がどのように記されているかと思い、フランスのある新聞を見たところ、『死の商人、死す』との見出しがありました。兄と取り違えられて自分の死亡記事になっていました。ノーベルは「自分の死亡記事」を読むことになりました。最初はその見出しに困惑しましたが、破壊の反対は何か、死後どのように覚えられるかを考え、自分が得た富(遺産)を、人類のために最大の貢献をした人々に分配するように、との遺言をしました。そして、ノーベル賞が創設されたのです。
 今週も、起こり来るささやかな出来事に対し、神様との深い交わりの中、あなたならではの「試練を宝に」を実践してまいりましょう。

輝きを放つ秘訣(10月11日)

 人生の目的は、神の作品であるあなたが、あなたらしい豊かな香り、最高の音色を奏でて生きることです。そのための秘策は何でしょう。

 良き指導者を得て、教えてもらうことも一つの方法です。そして、その世界の本質、すなわち、大元を見いだし、そこから徹底的に学ぶことに優るものはありません。

 宮大工として著名な西岡常一氏は、徹底した『木の哲学』に基づいた仕事ぶりで絶賛され、文化功労者にも選ばれました。西岡さんが弟子を育てる方法を尋ねられると、「弟子にはカンナの使い方など、教えない。教えると自分よりうまくならない」と言われました。実際、弟子の一人の小川三夫さんに対し、西岡さんは、「小川はもう私以上の腕前だ」と太鼓判を押されました。(「朝日新聞」1989年2月11日付「向き合う人生」)。

 人々を魅了する内なる輝きは、あなたを支えるみ言葉の真髄を味わい、知りつくすことから生まれます。エレミヤが「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。」(エレミヤ15:16)と言ったように、み言葉を眺めるのではなく、生活のただ中でくり返し試み、いのち(み言葉)をあなたの一部にすることです。

 今週も、日々、このことを心に留めていきましょう。

あなたの人生を決めるもの(10月18日)

 昔、苦労して財を成した町人が、あこがれの籠を買い、専属の担ぐ人を雇いました。籠に乗った最初の日のことです。籠が安物だったのか、底が抜けてしまいました。そこで、仕方なく、籠と底を縄で2箇所くくり付けました。それを見た人が、「ああ、誰かが亡くなったのだ」と言いましたので、籠の中から「俺は生きている」と叫びます。すると「ならば下手人だ」と言われ、「俺は立派な金持ちの商人だ」と中から怒鳴りました。それに対し、「ああ、何と可哀想に。正気でないので、外に出られないように縛られているのか」と言いました。

 この話でおわかりのように、人は様々なことを言います。その度ごとに反論する時間と労力を、「人生、自分持ち。人が何と言おうと、私は○○である」と宣言し、自分に自信を持つことに用いるのです。

 この「○○」にあなたがどのような言葉を記すのか、それが、あなたの過去も現在も、将来も決めます。あなたは何という文字を入れますか。「神の作品」「神の子ども」等々、み言葉と祈りの中で神様から与えられた、あなたならではの言葉が必ずあります。

 このことを日々唱えながら、主が共にある豊かな人生を、今週も歩みましょう。

木登り名人の心得(10月25日)

『徒然草』第109段に、木登り名人が弟子を高い木に登らせ、枝を切らせる話があります。

 そこは危ないな、とハラハラする状況でも、名人は何も言いません。もうすぐ地面、という時になって「注意して降りるように」と声をかけます。ある人が「もう大丈夫、怪我などしない、という辺りで声をかけるのはなぜか」と問うと、「そこなんですよ。めまいがするような高い所に登り、枝が折れやすい間は、本人が細心の注意を払っているから言わなくても大丈夫です。過ちは、平凡な所、安心から起こるのです」と、高名な木登り名人は答えました。

 ヒマラヤの高い山々を踏破する際、今まで多くの遭難者が出ていますが、登る時よりも下る時の遭難が多いのです。試練や困難の時には、しっかりと立ち向かう心が自動的に動きますが、安心、あるいは、平凡な時にこそ、思わぬ落とし穴があるものです。

 あなたの人生においても、どのような時も祝福の道から逸れることのないように。「どんな時も大丈夫」と言いますが、「どんな時」とは自分にとっていつなのか、どのような状況なのかをしっかりと確認し、覚えましょう。そして、そのような状況に遭遇した時にこそ、心して歩みましょう。

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