2020年11月の霊想

恵みの高き嶺(11月1日)

  健康のためには歩くことが一番、と言われますが、体の健康と共に心の健康、霊的健康(神様との交わり)のためにも、一歩一歩、歩くことが大切です。

 散歩、散策、登山、ジョギング、マラソンと、様々な歩き方、走り方があります。あなたは、人生にどのような健康法を取り入れていらっしゃいますか。

 あなた自身が人生の深い感動を味わうため、また、あなたの隣り人の人生に大きい影響を与える人となるためにお勧めするのは、登山型の歩みです。

 登るべき山を決め、計画を立て、しっかりした装備をし、一歩一歩、山頂を目指すことです。あなたの体力・霊力に合った低い山からさらに高い山へ、恵みから恵み、栄光から栄光へと進まれることは、あなた自身の祝福であり、同時に、あなたの周りの方々にとって、大きな道しるべになります。

 まずは、登るべき山に向かって目を上げ、今週も祈りつつ、一歩一歩、恵みの高嶺を目指して進んでまいりましょう。

「恵みの高き嶺、日々、わが目当てに。祈りつ、歌いつ、 われは登り行かん。光と清きと平和に満ちたる、恵み の高き嶺、われに踏ましめよ。」(聖歌589番)

結実の秘訣(11月8日)

   今年の標語聖句は、結実を確実にする、実を得ることで、いよいよ総決算の時を迎えます。あなたの成果はいかがですか。

 良き結果を得るために最も大切なことは、基本の型を身につけること、すなわち、神を第一とし、み言葉と祈りを生活の基盤にすることです。この基本を、声楽を習う人が、のどだけではなく体全体を楽器として使うように、体の一部ではなく、体全体、生活全般に浸透させることが肝要です。

 棋士の羽生善治さんが次のように言われました。

「プロ、アマを問わず、対局が終わった後、100%再現できる。しかし、子どもたちと対局すると、まったく再現ができない。それは、子どもたちには型、パターンが確立されていないからです」。

 この言葉を聞いて、ハッとさせられる方がおられるかも知れません。「そうか、私には型が育っていない」と自分の信仰生活の型の未熟さに気づく時こそ、さらなる土台作りを日々心して歩む時であり、最も輝いている時です。

 基本的な型は普遍的ですから、同信の友と語り合い、共に恵みの確認が可能です。今週も、心して、互いに励まし合いつつ歩みましょう。

一緒にカレーを!!(11月15日)

   小学校5年生のさとし君は、毎年、お正月に富山のお父さんの実家に行きました。そこでは、みんなでカニ鍋を食べるのが恒例でした。さとし君にとってこの時がとても重荷でした。さとし君はカニアレルギーで、毎年、みんなのおいしそうな顔を見ながら、ただ一人、カレーを食べるのがとてもつらかったのです。しかしある年、富山のいとこで大学生のひろしさんが、カニ鍋は食べないで、自分と一緒にカレーを食べてくれたのです。「カレーはおいしいね」と何度も言いながら。

 ひろしさんは東京の大学に行っていて、KGK(キリスト者学生会)の集いを通してクリスチャンになりました。クリスチャンになったひろしさんは、神様の大きな愛に、自分のできることで応答しようと祈り、神様から示されたのが「さとし君と一緒にカレーを食べること」でした。

 その後、ひろしさんは急性白血病で亡くなりました。でも、さとし君には、ひろしさんが一緒にカレーを食べてくれたことがいつも思い起こされ、その思い出を通して、さとし君の大きな劣等感もいやされていきました。

「弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。」(Ⅰコリント9:22)

あなたが磁場になる(11月22日)

「心頭滅却すれば火もまた涼し」。これは武田信玄に仕えていた僧侶・快川(かいせん)が残した有名な言葉です。しかし本来は、「火もまた涼し」ではなく「火自ずと涼し」、すなわち「火そのものが涼しい」が正解です。

「人生の様々な出来事もまた大丈夫」ではなく、「人生に起きる様々な出来事そのものが宝に変わる」。すなわち、「試練もまた大丈夫」ではなく「試練そのものが宝になる」世界です。

 ちょうど、磁石にくっついた釘を長時間つけたままにしておくと、磁力を得て、やがて磁石になるように、出来事、試練は「大丈夫」と一体なのです。

 このような生き方を、あなたはどのように育てておられますか。磁力を得た釘のように、大丈夫の源に密着し続けることは賢明な方法です。

「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の、時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」(詩篇1:2~3) このみ言葉のように、大丈夫の源泉である神とあなたが一体となる一週間でありますように。

洗いのきく人(11月29日)

 もし後輩から「伴侶を選ぶ基準は何か」と尋ねられたら、どのようなことを提言なさいますか。

 ゴールドスミスの小説『ウェイクフィールドの牧師』の書き出しは、「妻にするなら、洗いのきく(原語では"wash well" ) 女を選べ」と記されています。この意味をあなたはどのように解釈なさいますか。

「洗いのきく」とは「一人びとりの価値観に添った」ということです。忍耐強い、あたたかみがある、洞察力、体力、経済力等、あなたが大切と思う様々な価値観があるでしょう。それは伴侶ばかりでなく、会社の同僚や、学校の友人に「このような人であってほしい」と願う時もまったく同じです。

 伴侶や同僚、友人に、自分が願うことを求め、必ず得ることができる秘密があります。それは、あなた自身が「そうあってほしい」その人になることです。その時に最も大切なことは、「このくらいで十分」というのは実力のまだ3分の1で、自分の物差しの甘さであることをしっかりとわきまえることです。ですから、自分が願う3倍の実績を得ていれば、来年の教会の標語のように、豊かな刈り取りが待つばかりです。

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