2022年11月の霊想

主の前にその行いを堅くする(11月6日)

歴代志下27 章にヨタムという王様の一生が短く記されています。彼の人生は単純で統一されたものでした。「ヨタムはその神、主の前にその行いを堅くしたので力ある者となった。」(歴代志下27:6)。これのみです。神に従った結果として、まるで副産物のように、国の繁栄や国民の安全がもたらされた時代でした。

ただし、彼が生きていた時代は問題のない理想的な時代ではありませんでした。アッスリヤという新興国が急速に勢力を増し、外交上、隣国の北イスラエル王国やスリヤと同盟すべきか難しい選択が迫られていました。また、父王ウジヤの時代に経済的な繁栄を極めたので、国民は物が豊かでも心の貧困さは目に余るものがありました。

しかしその中で、ヨタムは「主の前にその行いを堅くした」のです。周囲の人がどうあろうと、それは関係ありません。自分と神の関係がしっかりしていることが、このような混沌とした時代の中、道を踏み外すことなく生き抜くための鍵であり、そのような人が周囲の人を救っていくのです。

神としっかり向きあい、「主の前にその行いを堅くした」ヨタム王のように、私たちもなすべきことにとりかかる一週間としましょう。(M)

信仰的健康を生きる(11月13日)

WHO(世界保健機関)は、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされている状態にあること」と定義しています。このような基準に当てはまる生き方は現実にあるのでしょうか。

詩篇23 篇の作者であるダビデは、1節で「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」と書いています。彼は、人一倍試練と苦労が多かった人でした。イスラエルの初代王サウルが、ダビデの活躍を妬(ねた)み、殺害しようとしたからです。そのため彼は、国内外に逃亡し、住む家もなく、食べることに窮する時もありました。そのような中にありながらも、生き続けることができたのはどうしてでしょうか。

それは、彼が、試練のただ中であっても、神の守りと助けを覚え、心から感謝をして生きていたからです。
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」(詩篇46:1)

私たちも、様々な試練に出会う時、人生を導いて下さる良き牧者イエス・キリストに信頼し、信仰的健康を生きてまいりましょう。

共にいる神(11月20日)

Kさんは、かつて野球の全国大会で優勝を果たしたメンバーの一人です。お孫さんが野球を始めたので、さぞ厳しい指導をしているかと思いきや、「毎日少しの時間でもボールに触り、バットを握りなさい」と、スパルタ式とはかけ離れたやさしい言葉かけをしています。お聞きすると、「まだ小学生なのだから、技術的なことよりも良い習慣づけをしたい」とのこと。なるほどと納得がいきました。

このお孫さんは、おじいちゃんの言葉が厳しくなったとしても、聞くことができるでしょう。自分のために言ってくれているということがわかるからです。

モーセの後を継いだ二代目指導者ヨシュアに対して、神は同じように関わられました。イスラエルの民をカナンの地に導き入れる責任の重さを痛感するヨシュアに対し、神は「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない」(ヨシュア記1:5)と約束なさいました。

この愛の神をじっくりと知ることが、あなたを前に進ませ、困難に立ち向かわせる力となるのです。神はあなたを力づけてくださいます。あなたを最高の祝福に導こうとする方が共にいることを信じ、今週もチャレンジの一歩を踏み出しましょう。(M)

すべては何の為にあるのか(11月27日)

ジョージ・マセソン(1842年~1906年)は讃美歌の作詞家です。

彼は同じ学校の女性に恋をし、二人は結婚するつもりでいました。ところが19 歳の時、急に目が見なくなりました。その時、彼は目の状態を彼女に話し、「それでも結婚してくれるか」と尋ねました。彼女の答えは「いいえ」でした。ジョージは、彼女に怒りをぶつけることもできたし、「約束をしたのに破棄するのか」と責め寄ることもできました。しかし彼は、柔和な心で、真摯に彼女の返事を受けとめ、彼女との結婚はなくなりました。

それから彼は、自分自身の失明の痛みと、彼女との別離を思い、1882 年に讃美歌360 番「疲れし心をなぐさむる愛よ」を書きました。4節には、「罪のこの身をもあがなう十字架よ。ちりなる我にも、とこ世の花をばさかせたまえ」と、この世の移り変わる報われない愛ではなく、神の変わることのない愛、イエス・キリストの十字架による希望が記されています。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。……しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」
(ローマ8:35、37)(A)

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