従う祝福(その2)(8月6日)良いフォロワーが良いリーダーとなります。良い指導者(リーダー)は過去において間違いなくきちんと従う者(フォロワー)でした。 下の立場に身を置くと、上からの指示や命令に対して動かなければなりません。そうすると、どういう言われ方をすると抵抗を感じてやる気を失うか、また逆に、言われた以上にやってあげたくなるかの体験を積みます。人の本音が分かるようになるのです。ですから、その人は心憎いばかりの細やかな配慮で指示を出せるリーダーとなります。そうなれば全体がまとまらないはずがありません。 ダビデは自分を殺そうとするサウル王に対して、「主が油を注がれたわが君」(サムエル記上24:6)なので、たとえ正当防衛が成り立つ場面でもサウルの命を取らず、あくまで「神が選ばれた人」という態度を崩しませんでした。 「あなたはわたしの命を取ろうと、ねらっておられますが、わたしはあなたに対して罪をおかしたことはないのです」(サムエル記上24:11) このダビデの人格に人々が尊敬の念をいだき、彼が王となった時、イスラエルは最高の時代を迎えたのです。 今週も良き神のフォロワーとして従う訓練を積み重ねてまいりましょう。 |
愛の神に出会う道(8月13日)大自然の美しさを通して、この世界を創造された神の存在を知ることができます。山の頂上で見る「ご来光」には神々しさを感じます。しかし、自然を通してわかるのは、「創造主なる神」です。愛の神となると、「ではあの地震や大津波は?多くの犠牲者を出して何が愛の神?」という反論が山ほど出てきて答に窮することもあります。 愛の神に出会う道は、イエス・キリストを通してのみに限られます。キリストの十字架は、神が人間を愛するあまり、ご自分の愛するひとり子を人間の罪の身代わりとして犠牲にされたということです。それを信じる者は無罪と見なされ、今まで切れていた親子関係が復活し、父としての神の愛を正しく受けることができるようになります。 クリスチャンの詩人、岡田汐子(おかだしおこ)さんの作品です。 さわやかな足音をたてて 時が走る あの時から 身軽になったわたし 重かった涙のつぼを だまってひきうけられた キリストの傷ついた手を見た その時から 人生をおそれなくなった わたし キリストを通して神の愛を受けていきましょう。 |
よきものに心を留める(8月20日)「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」(ピリピ4:8) 現実は全て良きものばかりではありません。聖書はその中から良いものに目を留め、それを心に留めなさいと語ります。現実の被害や不正に目をつぶれ、というのではありません。それらも見える中で、あえて良きものに目を向け、数え上げていく訓練をしていくのです。 ある方が新しく処方された薬を飲み始めて数日後、急なに襲われ、あわてて医院に駆けつけました。「先生、私の病気は悪くなったようです。薬が合わないのかもしれません」。お医者さんは診察をしてからこう言いました。「これは薬の副作用です。あなたにはという形で出ました。しかし、副作用が出るということは薬が効いているということです。あと1週間もすれば薬の本来の効果が現れてきます。もうしばらく様子を見ましょう」。この方はひと安心しました。そして、信頼できる方から差し出されたものは、全て私に良いことを起こそうと思って与えられている、と考えを新たになさいました。 今週も、神が与えて下さる良きものに心を留めて歩んで行きましょう。 |
平和を祈る(8月27日)イザヤはキリストが生まれる700年前に活躍した預言者です。イザヤ書第2章で彼は、他国の軍事力に頼り、金銀の経済力に頼り、占いに頼る当時のイスラエルの姿を批判しています。と同時に、世の終わりの姿を神様から啓示され、イスラエルが世界の中心となり、キリストが治める平和な世界になっていることを預言しました。 ニューヨークの国連本部の壁にはイザヤ書の御言葉が刻まれています。「こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」(イザヤ2:4) 国際平和実現のための施設に最もふさわしい文章でしょう。しかし、同じ4節の「彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。」が採用されていません。「彼」とは救い主イエス・キリストのことです。人類は平和を求めていても、キリスト抜きでの平和を求めているのが現実です。 世界ではいまだに戦争が絶えない状態です。しかし、たとえ今がそうであっても、様々なを経て、必ず平和な世界が築き上げられることが約束されています。ですから、まるで「積木くずし」のように思える平和の努力も、必ずどこかで実を結んでいくのです。 今週も平和を祈る毎日として参りましょう。 |
2023年8月の霊想