2023年7月の霊想

従う祝福(その1)(7月2日)

「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」(ヘブル3:7-8)

 従う人の人生にはムダがありません。人は従うときに最小の努力で最短距離を進んでゴールに到達することができます。

 たとえば、あなたがまだ生魚を三枚におろしたことがないとしましょう。自力でやったらそれはそれはひどい思いをすることでしょう。ウロコを落とすという常識もなく、隠れた骨の有り場所も分かりませんから、食べる時に口の中に刺さるかもしれません。しかし、やり方を聞き、教えられた通りにさばいていけば、無駄なく安全に食べることができます。

 これは旧約聖書を読む利点に通じます。モーセに率いられたイスラエルの民は、エジプトの奴隷状態から解放されました。しかし、彼らは神に従わなかったため、従順な集団となるために40年間を荒野で生活しなければなりませんでした。旧約の歴史を通してイスラエルの例を知り、神に従う選択をする時、私たちは荒野の40年を避けて通ることができるのです。

 今週も神に従う訓練を自分に課し、最短距離を進む祝福を得て参りましょう。

闇の中を歩む(7月9日)

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」(詩篇23:4)

 詩篇第23篇は多くの人に愛され、よく読まれている聖書箇所の一つです。「死の陰の谷」の元の意味は「暗闇の谷」です。ここを歩む時には、神の臨在は感じられません。いつも共にいて下さり、祈りに答えて下さる神の存在が全く感じられない暗闇の中を、つまずかないように気をつけて歩んでいくのが死の陰の谷の歩き方です。

 しかし、真っ暗で先が見えない人生を歩んでいても、わざわいを恐れないでいられるのは、「あなたがわたしと共におられる」という約束があるからです。そこで頼りになるのはこれまでの神との体験です。「あの時の祈りは私が祈った通りにはならなかったけれど、別の形でもっと良い答えをもらった」「あの時も助けられた」。これらの記憶は、ほんの小さな光かもしれません。しかし、神の声が聞こえない状況では、今まで自分を照らし出してくれたそれらの光を取り出し、自分を励まして歩むのです。

 そこから先は、人生の暗闇に取り囲まれても、わざわいを恐れないで道を進んで行くことができます。あなたの中の神の光を大切にし、勇気を持って闇の中をも歩んで参りましょう。

私にはこれしかない(7月16日)

「ペテロが言った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。』」(使徒行伝3:6)

失ってみて初めて、自分にあるもの、残されているものが分かります。それは神様が用意して下さった人生の宝物です。

阪神・淡路大震災の被災者でもあった落語家の桂文珍さんはこう語ります。

「家が半壊して、3日目に寄席に出た。こんな状況で何が出来るかと思ったが、夢中でやったら、みんなが笑ってくれ、お互いに励まされた。ああ、オレには落語しかない。これしかできんのやと思った。落語家人生の分岐点でした」(読売新聞2011年3月27日付)。

「落語」という部分を、ご自分の何かに置き換えてみてはいかがでしょうか。金銀も安定も無くとも、神がわたしたちに与えた「私にはこれしかない」というものをきっと見つけることができるでしょう。その時から、人生に手ごたえが感じられるようになります。そして、神がすでに用意されていた道が開かれているのを目にするのです。

イエス・キリストの名の力によって今週も立って歩いて参りましょう。

真の悔い改め(7月23日)

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)

 軽自動車は「軽」という漢字がつきますが、最も軽い車種でも重量は600kgあります。どうやってこんな重いものを動かすのでしょうか。簡単です。エンジンをかけて、「動くのだ」と思って操作すれば動きます。『悔い改め』とはこのようなことです。

 『悔い改め』とは「今までの行いを自力で改めて真面目に正しい生き方をする」ということではありません。そのような生き方は、あなたが持っている力で、エンジンをかけずに軽自動車を押して動かそうとするようなものです。

 聖書の言う『悔い改め』とは、「思いを変える」ことです。「神の国は近づいた」のだから神のわざが始まる、と思いを変えることが『悔い改めて福音を信じる』ということです。キリストの十字架によって罪ゆるされ、新しい恵みの人生を始められるのだと信じる。つまり、「思いを変える」ことによって方向が変わります。すると神のエンジンが推進力となって、重かったあなたの人生がグイグイと進んでいくのです。

 今日、思いを変えて、「ゆるされているのだ」という方向に一歩足を進めて参りましょう。

常に主の名をもって祝福する(7月30日)

「本を買う客は店にいる時間が短い」。長年書店の店員をしている人でなければ言い得ない言葉です。はっきりとした目標を持っている人の行動とはこのようなものです。

 クリスチャンの人生は、「何か良いものはないか?」と、いたずらに店の中を回って時を費やすような生き方ではありません。「常に主の名をもって祝福することをなした」(歴代志上23:13)との御言葉通り、常に主の名をもって祝福する、と決めて生きる人生です。その人生には無駄も迷いもありません。

 Aさんは親の介護を考えて、家を新築する決心をしました。しかしそれだけが目的ではありません。おいしいお料理と共に滋養豊富な霊の御言葉を人々にいただいてもらおうと、家庭集会の出来る家をと祈って計画を練りました。家を建てる目標が「介護と家庭集会」とはっきり定められているので、建築業者の選定にも迷いはありませんでした。現在は、ご両親を天に送られ、毎月の家庭集会に人々が集まる家として、あたかも天国からの祝福の集荷所のような様子です。

 すでにあなたに与えられている祝福に感謝し、さらに祝福の基となろうと決心する者に、神は天から祝福を降り注いで下さいます。浴びるほど祝福に浸り、「常に主の名をもって祝福することをなした」という人生を送って参りましょう。

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