それでいいんだよ(6月4日)「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)。 この重荷とは「律法」のことを指しています。律法は神の御心ですから、一つとして余すところなく守らなければなりません。しかし、守りたくても守れない弱さを持っているのが罪人たる人間です。それなのに、「お前は神の掟を守っていないぞ」と指摘されれば、律法はその人の生活を守る恵みから、その人の生活を縛る重荷へと変わります。特に、まじめな人は、「あれもやっていない。これもできていない」と自分を打ちたたき、なんとしても神の律法を完璧にこなすよう努力します。 さて、とことん義を追求するという長所を裏返せば、欲張りということです。欲張りでわがままなゆえに、自分に対して「それでいいんだよ」とゆるしを与えられない人。それがまじめだと思っていた自分の裏の面です。そのからくりがわかったら、休みを与えようと招いて下さるキリストのもとへ行くことです。キリストが与える休みは、不完全な、ありのままの、罪人の姿でなければもらうことができません。まず休みを取って下さい。あなたの重荷はその後に解決されます。 今週も毎日がゆるしで満ちあふれますように…。 |
賛美の力(6月11日)「主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、もろもろの神の前であなたをほめ歌います」(詩篇138:1) サドルバック教会のリック・ウォレン牧師は、賛美の素晴らしい力についてこう語っています。礼拝後に、「リック先生、私は今日の礼拝で何も得るところがありませんでした」と言ってくる人がいるそうです。ウォレン師は42年間の牧会経験上、この方々にただ1つの同じ質問をします。 「あなたは礼拝中の歌を心をつくして歌おうとしましたか?それとも、ただそこに立って、他の人たちが歌うのを見ていただけでしたか?」 すると、相手からの返答も常にただ1つ、同じ答えが返ってくるそうです。「私はそこに立っていただけです。歌おうとはしていませんでした」 ウォレン師はこう指摘します。 「それがあなたの問題なのだよ。だから礼拝から何も得るところがなかったんだ。あなたは礼拝に心を注がなかったのだよ」 心をつくして賛美し、心をつくして神をほめたたえる。そのために、神が自分に与えた良い面に注目する。これがあなたの命を今日も燃え立たせる神の方法です。 今週も賛美にあふれる毎日を送って参りましょう。 |
命の泉(6月18日)「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(箴言4:23) 箴言第4章は、父の諭しと言われる箇所です。知恵者の父からの諭しが命令として出てきますが、それは絶対服従を誓わせる支配という類のものではなく、父の愛が下地にあり、愛から語っている命令です。 愛ある父は、「油断することなく、あなたの心を守れ」と語ります。膨大な情報が無制限に飛び交う現代では、注意していないと、いつの間にか否定的思いや偏った考え方を取り入れてしまい、自分で自分を「ダメだ」と落ち込ませてしまいます。 私たちが心の中に入れるべきことは、自分は神から愛されている存在だということです。どんな失敗をしたか、どんな傷を人に負わせたか、が神の愛を左右するのではありません。父なる神は、御子キリストを信じる者の罪をすべてゆるし、永遠の命を与えたいと願っておられます。そして、復活し、昇天され、被造物全てへの権威を与えられたイエス様が、私たちに聖霊を注ぎ、その聖霊が万事を益となるように働いていて下さるのです。 この神の光で自分の心を照らし出し、毎日、心のお掃除をすることです。生きるエネルギー、命の泉はその心から湧いてきます。 |
神に立ち返る(6月25日)「イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」(アモス4:12) 日本の細菌学の父と言われる北里柴三郎は、優秀な研究者を育成するために、時々、門下生たちを叱責することがありました。彼につけられたあだ名は「ドンネル先生」。ドイツ語で「雷おやじ」という意味です。 しかしその甲斐あって、赤痢菌を発見した志賀潔や、黄熱病の研究に一生を捧げた野口英世らが世に出ています。叱るということには裁きと愛の両面があるのです。そこを見極め、正しく叱責を受け止めることが私たちには必要です。 アモス書第4章では、貧しい者へ分け与えることなど考えもせず、贅沢の限りを尽くして生きている人々への主の叱責が記されています。神は彼らに数々の災いを下されました。現代の私たちも、自然災害や感染症などの病気、外敵の侵入等があると、「神が愛ならば、なぜこんなことが起こるか」と思ってしまいます。しかしこれは「神が人間を立ち返らせる機会として与えている」というのが預言者アモスの主張です。 神の裁きと思える出来事を通して、神は人をご自分に近づけようとなさいます。その神に出会う準備を今週も整え、一日を始めて参りましょう。 |
2023年6月の霊想