従う祝福(その3)(9月3日)カナの婚宴の最中、ぶどう酒がなくなり、イエス様は水をぶどう酒に変えるという奇跡をなさいました。ここで重要な役割を果たしたのが、しもべたちです。 「イエスは彼らに『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた」(ヨハネ2:7) 私たちが想像する水がめとは違います。石を掘り抜いて作った大きな物で、1個に80リットルから120リットル入ります。それが6つですから500リットルから700リットルの水を貯める計算になります。おそらく、家から離れた井戸まで行き、水汲み桶にたっぷり水を満たし、重い桶を抱えて帰って来て石の水がめにジャーッと注ぎ、その足でまた井戸まで行き…、を繰り返したのでしょう。 彼らは忠実にこれを果たしました。水は上質のぶどう酒に変えられ、花婿は良いぶどう酒を最後まで取っておいたと賞賛され、婚宴の席はさらに盛り上がりました。しかし、その背後で起きた神の御業を知ることができたのは、このしもべたちだけでした。従う者だけが知る祝福というものがあるのです。 従う時に神は祝福を与えて下さいます。あなたの自由意志で従うことを選びとり、従った人でなければ味わえない祝福に満たされますように…。 |
新しいことをなす(9月10日)「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」(イザヤ43:19) 現在の米沢興譲教会礼拝堂を建てる時の話です。キリスト教建築では日本でも有名な設計事務所に依頼し、大方のところは意見が合いましたが、ただ一点、照明に関して調整が難航しました。事務所側の「教会標準の明るさ」は、私たちにとっては到底受け入れることができないくらい、暗いものでした。 設計事務所側はヨーロッパの伝統的な教会をイメージしていたのです。しかし、私たちはやがて間違いなく来る新しい時代をイメージしていました。新しい時代には新しい人たちが新しい感覚で来る。教会が提供するものも、新しい人たちが受け入れやすい新しい形でなければなりません。 客観的数字を出して初めてわかったのは、設計側の明るさは300ルクス。教会が求めているのは1500ルクスで、実に5倍の開きがありました。粘り強い交渉の結果、事務所側は謙遜に教会側の要求を受け入れて下さいました。そして当たり前のように今の礼拝堂があるのです。 新しい時代には、神は不可能なところに新しい道を設けて下さいます。今日、その道を歩む備えをしていきましょう。 |
嘆きの意味(9月17日)なぜ「起きないように」と願っていたことが起きてしまうのか、私たちにはわかりません。「なぜそうなるのですか?」と祈っても答は神様から与えられません。となれば、教会を避け、クリスチャンとの交わりをる人が出てきます。大きな悲しみに遭遇した人は、ただ息を詰めて、ひっそりと生きることでしか過ごせない時期があるのです。 やがてそれは「嘆き」という形で、少しずつ消化されていきます。「はぁ…」というため息であったり、わけもなく流れる涙であったり、その形は様々です。そして、波にさらされ続けた岩が時を経て姿を変えるように、悲しみの記憶も形を変えていきます。その時、私たちは「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい」(哀歌3:22~23)ということを実感するのです。 「試練は宝。この苦難はやがて最善となるのだ」とは到底思えない時期を、ただひたすら嘆くことに費やさざるを得なかった人こそ、この哀歌の御言葉の真実さを体験します。嘆きを一つずつ口にし、その度毎に神の霊の空気を吸うこと。主のいつくしみとあわれみを味わう日々とはそのような生活なのです。 今週も神のいつくしみを胸いっぱい吸い込む日々を送って参りましょう。 |
とちり稽古(9月24日)昔の役者さんたちは「とちり稽古」をやったといいます。三味線の弦が切れた、足を踏み外して転んだ等の失敗を想定し、その後にどう動くかという稽古を積んだのです。あえて事前にとちることで、本番で心を動揺させることなくリカバーし、何事もなかったかのように、いえ、それが元々の台本にあったかのように演じてみせる稽古です。 私たち人間はよく間違います。そしてサタンに時間もお金も盗まれてしまう、ということがあります。その時に、「わかっていたのにまたやってしまった。自分はなんてダメな人間なのだ」と責めるのではなく、「この私のために、身代わりとなって死んでくださった救い主がいる。この方はサタンの誘惑に打ち勝った救い主なのだ」と信じる方に向きを変えるのです。 自分の感情では、自分はダメ人間で罰を受けるべきと感じます。しかし神の御言葉は「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである」(ローマ5:8)と約束してくださっているのですから、こちらの方にすがりつくのです。 今週も「霊的とちり稽古」に励みましょう。その練習があなたを助け、あなたの周りの方々をも助ける日がきっとやって来ます。 |
2023年9月の霊想