2026年1月の霊想

選びの上に立つ(1月1日)

日本初の女性首相として高市早苗氏が選出されました。旧約聖書を見ると、イスラエルの最初の王はサウルです。彼は祭司サムエルを通して、「あなたは手当りしだいになんでもしなさい。神があなたと一緒におられるからです」(サムエル記上 10:7)という保証まで得られていました。しかし、サウルは王として選ばれるくじに当たったとき、荷物の間に隠れていたほど自信のない人でした。

自分の内側だけを見ていると、自信は湧いてきません。神がサウルを選ばれたのは、サウルの能力が認められたからではありません。「神は彼に新しい心を与えられた」(サムエル記上 10:9)とあるように、神の選びと恵みのゆえです。自分を選んでくださった神に目をとめ、その神に信頼して立つこと以外に、王として歩み続ける道はなかったのです。

これは私たちも同じです。自分とこの世の人々を比べたら、サウルと同じように、とても信仰者らしいとは言えない弱さに気づかされます。しかし、イエス様は、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」(ヨハネ 15:16)と語られました。取るに足りない私たちを選び、罪を赦し、神の子としてくださった主に拠り頼み、主の召しの上に立って歩むとき、神は確かに働いてくださいます。

今年もこの恵みの中を共に歩んでまいりましょう。

起きて呼ばわる(1月4日)

「わたしは朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みをいだくのです。」(詩篇 119:147)

詩篇 119 篇の記者は、「朝早く起き出て呼ばわります」と告白しています。彼は、今日が良い日になるかどうかを考えたり、気分が整うのを待ったりしてから祈るのではなく、まず神に向かって声を上げることから一日を始めています。行動を先に起こすと、心や考えは後から変わっていくものです。体を動かせば景色が変わり、それに反応して気持ちも軽くなり、新しい発想も生まれます。すると、固く縮こまっていた「できない」という思いが、「やれる」という軽やかな思いに転じていくのです。

「み言葉によって望みをいだく」という状態になるのは、このように行動し、心が整ってからのことです。布団の中で「み言葉によって望みをいだく...」と何度も唱えて希望が湧くのならそれでもよいでしょうが、多くの場合、まず体を起こし、心が聖書の言葉を受け取りやすい状態になる方が、望みを抱きやすいものです。このような現実的工夫を積み重ね、自分をいたわり、丁寧に自分を仕上げることが自分を愛することにつながります。

今年も、神に呼ばわることから一日を始めましょう。み言葉による望みに満ちた一年となりますように‥。

光をもたらす鍵(1月11日)

「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」(創世記 1:1-3)

毎年、初競りでマグロが高値で落札されるのは、単なる宣伝だけではなく、「今年も本気で商売に向き合う」という業界全体の覚悟を示す意思表示だと言われています。

天地創造の最初、闇に覆われ混沌としている地球を命の惑星とするために、神は 2 つの力を送られました。神の言葉と神の霊です。神の霊に覆われ、そこに「光あれ」という言葉が発せられると、光が創造されました。神の創造の業は、聖霊と言葉によって成されたと聖書は記しています。

私たちの現実生活を振り返ると、規則正しく進む日もありますが、全く意味がないように見える日もあります。その私たちの生活のただ中に、神の霊と神の言葉を歓迎し、受け入れることが闇の中に光をもたらす鍵となります。まず第 1 に、聖書を読み、御言葉にふれる時、流されるままに見える現実が、神の大きなご計画の中で支配されていることに気づきます。第 2 に、祈り、神の霊にふれる時、現状をやっていけるエネルギーが与えられます。

今週も神の言葉と神の霊を歓迎し、光の中を歩む生活をいただいて参りましょう。

わたしをだれと言うか(1月18日)

デンマークは消費税 25%に加え、所得税や社会保険料の負担も重く、総合的に見て高負担の国として知られています。しかし国民の不満は比較的少なく、幸福度は世界でもトップクラスにあります。その理由の一つは、大学までの教育費や医療費が原則無料で、税金が自分たちの生活を確かに支える形で使われていることを、多くの国民が実感しているからです。そのため政治への関心も高く、国政選挙の投票率は常に 8 割前後を維持しています。税金の使い道を決める政治家を選ぶことを、他人任せにせず、自分自身の責任として考えているのです。

この「自分で考え、責任をもって答えを出す姿勢」は、イエス様が弟子たちに求めた態度とも重なります。イエス様は、人の意見をなぞる信仰ではなく、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」(マルコ 8:29)と、一人ひとりに、直接、問いかけられました。この問いにどう答えるかによって、その人の信仰の本質が明らかになります。誰かの受け売りではなく、自分自身の言葉で答えることが求められるのです。

イエス・キリストを教育家、優れた道徳家、あるいは革命家と見るのか、それとも救い主と告白するのか。その答えには責任が伴い、聖書はそこに永遠の行き先が関わると教えています。イエス様の問いは、すべての人に開かれた救いへの招きです。自ら考え、自分の答えをもって、救い主と共に歩んでまいりましょう。

試練を喜ぶ(1月25日)

山形県置賜地方は、海から遠い内陸で、寿司店にとっては不利な地域に思えます。しかし、太平洋側と日本海側のちょうど中間にあるため、双方から多種多様な魚を仕入れられるという利点があります。ある寿司店はその発想の転換により大繁盛し、多くの客が遠方から訪れました。私たちも視点を変えることで、マイナスに見える状況の中に隠された祝福を見いだすことができます。

ヤコブの手紙は、迫害の中で散らされたユダヤ人クリスチャンに宛てられています。彼らはキリストを信じたゆえに故郷を追われ、苦難の中にいました。驚くべきことに、ヤコブは彼らに向かって、「いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」(ヤコブ 1:2)と語りました。なぜ試練を喜ぶのか。それは、信仰が試されることで忍耐が生まれるからです。

試練の時、神はしばし姿を隠されます。祈っても応答がなく、導きも感じられない時、私たちは「本当に神はおられるのか」と揺さぶられます。しかしその不安の中で、「いや、神はいらっしゃる」と思いを保ち続けることで、私たちのうちに忍耐が育てられていくのです。忍耐が養われるとき、神の御心は実現し、再び神の確かな導きを見るようになります。

今週も、神が与えるチャレンジを受け止めつつ、キリストに似た者へと成長していきましょう。

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