2026年2月の霊想

主よ、顧みてください(2月1日)

老舗書店の三省堂の社名は、中国の古典『論語』の「吾日三省吾身」(われ日にわが身を三省す)から採られました。三省どころか一省もせず、バビロン捕囚という神の裁きを受けたのが古代イスラエルです。

哀歌は捕囚の中での嘆きの詩です。しかしその中で、神に望みを抱くフレーズがあります。「主よ、顧みてください」(哀歌 1:20)がその一つです。今さらそんなことを言う資格はあるのでしょうか。しかし、神のあわれみにすがる他ありません。自力を頼みとせず、神の力を頼みとするようにと、神様はイスラエルを導き、また、私たちを導いて下さるのです。

アメリカ発祥のアルコール依存症者の会で「AA」という集いがあります。この団体には「12 のステップ」という有名なプログラムがあります。その最初の 1 行は「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」です。自分は無力であることを認め、自分以上の存在による助けを信じることが一番有効だとされています。

追い詰められ、行き詰まりに瀕した時は、神の第 1 ステップの階段をちょうど目の前にしている時です。自分の無力さを認め、「主よ、顧みてください」と素直に心の中で祈りましょう。それが神の階段を登る最初の重要な一歩となるのです。

人生の絵(2月8日)

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(ヘブル12:11)

日本画の福田平八郎氏のところに、ある人が鮎の絵を持って来ました。「これは先生の絵ですか」と尋ねると、福田氏は自分の作品ではないとし、その理由を「この絵は私より巧い。だからいけません」と静かに言われました。「この絵はおそらく私の作品か複製を見て描かれたものでしょう。実に手際良く、何の停滞もなく、巧く描かれています。私は、このように描くことはできません。いつでも、ああでもない、こうでもないと苦しみもがきながら描くのです。そのような苦しい製作の故に、私の心が次第に絵にしみ込んでゆき、命のある絵が完成するのです」(田中信生著『生活の処方箋』より)。

神が与える訓練は、当座は喜ばしいものとは思えません。しかし、それによって人は鍛えられ、福田氏が苦しむ過程で絵と自分が一体化するように、あなたも命ある人生の絵を描いているのです。

「平安な義の実を結ばせるようになる」との約束に信頼し、今週も神の訓練をいただいてまいりましょう。

十字架を負う(2月15日)

「筋トレで 古希を迎える 女の古(こ) 」。ある女性向けフィットネスクラブに通う 69 歳の方の川柳です。「女の子」でなく「女の古」としているところにほのぼのとしたユーモアを感じます。 キリストの弟子たちの「筋トレ」は十字架を負うことです。これはキリストに従う時の重荷です。弟子として従っていきたいという気持が起こされる時、人は進んで十字架を取り、負おうとするものです。

S子さんは親の看病を続けながら、保育士になる夢をあきらめませんでした。わずかな時間をも無駄にせず勉強に励み、いよいよ就活の際に教会系の幼稚園を紹介されました。初めて礼拝に出席した時の彼女の印象は、「世の中に、こんなに暇を持て余している人たちがいるのか...」というものでした。1 分 1 秒も無駄にできないと考えていた彼女にとって、全く異質の世界だったのです。

しかし、苦労を積んだ人ほど神の愛がしみ渡ります。S子さんはその幼稚園に採用され、礼拝に参加するうちに神に心とらえられ、洗礼を受けてクリスチャンとなられました。今では自分だけでなく、人の重荷まで背負おうとする愛の人として歩んでおられます。十字架を負おうとする時にひるむこともありますが、神の導きとその先の喜びを信じ、与えられた十字架を安心して負っているのです。

十字架の先にある喜びを先取りし、今日の重荷を負わせていただきましょう。

すぐに従う(2月22日)

マルコによる福音書は、ローマ皇帝ネロの迫害下で苦しむ初代のクリスチャンたちに、キリストの福音とは何かを教えるために書かれた書です。事態は緊急を要していたので、「すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った」(マルコ 1:18)とあるよう「すぐに、○○した」と次々と行動する描写が多く出てきます。これがマルコ福音書の大きな特徴であり、この書を正しく読んでいくためのポイントとなります。

マルコ福音書を読んだ後は、「これが神の御心と思ったら、間髪を入れずに行動する」という方向に生き方が進んでいくようになります。早いうちに悔い改めをし、その習慣を身につけた人の人生は、老年期に至るまで花を咲かせ続けます。それは失敗をしない人生となるからではありません。人は最後まで過ちを繰り返す存在であり、やれば必ずどこかでうまく行かないことが起きます。しかし、その度に、「ごめんなさい」と周りの人に謝り、かつ、キリストの福音に従って自分自身を赦し、そして自分の考えと行動を新しくしようとする人の生き方は、神の国の聖なる賛美をこの世に響かせる生き方となるのです。

すぐに悔い改めることほど信仰を磨く訓練はありません。マルコによる福音書はこのように読み、すぐに神に従う者として行動して参りましょう。

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