100%神様のおかげ(10月24日)

パウロの「信仰によって」は「信仰深さによって」と誤解されるが、「恵みによって」が真意である。「恵み(信仰)によって」とは「100%神様のおかげ」という意味だ。だから「信仰によって救われた」は「100%神様のおかげで救われた」、「恵みによって今の私になりました」は「100%神様のおかげで今の私になりました」ということになる。

我力と行いは「こちらから」の世界。恵みと信仰は「あちらから」の世界である。「こちらから」の生き方は、主体的で意識が高く、一見良さそうだが、「私が努力したから」と傲慢になり、人との比較が始まり、嫉妬や裁きが生まれる。するとキリストの体なる教会がいとも簡単に壊れる。キリストを証しするのは、すばらしい説教や慈善活動ではない。神に愛されている者同士が愛し合うことで証しされる。そこにキリストの実体、愛、神の国の断片が映し出される。

教会は、恵みによってのみ存在し、健全に成長する。欠けある者同士、互いの弱さを理解し合い、赦し合い、助け合う。そこに余すところなくキリストの実体が現される。全部「あちら持ち」で救われ、生かされているのだから、自らを誇ることができない。何もしてないのだから謙虚にならざるを得ない。そしてそこには、感謝が泉となって流れ出る。

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