聖書を読む(11月12日)

キリスト教に興味を持った人が聖書を読み進めていく時に、抵抗を感じる箇所があります。「神の子」という表現に出会った時などがその典型的な例です。キリストはどうやって神の子となったのか、とか、その正当な根拠などが示されないまま、いきなり神の子と言われると、「それは全く独りよがりの押し付けではないか」という思いが湧いてくるからです。

そのような時は「聖書は古典なのだ」と考えるとうまくハードルを乗り越えられます。「この箇所は私にとっては“?”マークがつくけれど、今までの人類が古典とするほどの内容なのだから、きっと意味があるのだろう」として、わからない箇所や受け入れられない部分は一時的にやり過ごすのです。わからないものを無理やり納得したように自分に言いきかせるのは欺瞞です。「今は分からないし納得できない。しかし後になって人生経験を積んだら、わかるのかもしれない。まずは読ませていただこう」。それが聖書に向かう時に必要な謙遜な態度です。

正直に、自分の気持を偽らずに聖書に向かう時、神様は私たちを導いて下さいます。そう信じて、まずは古典として、次に私たちに命を与える信仰の書として聖書を読み、何よりもイエス・キリストの人格に触れるように心がけて読んでみましょう。そこに新たな人生の道が開けていきます。

-

© 2024 Yonezawa Kojo Church