聖書の登場人物で神への信仰を貫いた人は、どこかで大きな挫折を味わっています。
アブラハムは神からの約束を信じ切れず、ハガルとの間にイシマエルをもうけました。モーセはヘブル民族を奴隷から解放する野望が40歳にして絶たれ、王宮から荒野の生活に追いやられました。ペテロは死んでもイエス様についていくと大見得を切りましたが、鶏が鳴く前に3度主を知らないと否定しました。パウロはクリスチャンを滅ぼすことが神の御心だと勘違いし、ダマスコ途上でその誤りに気づかされました。
こんな挫折を味わった後では、自分に絶望し、自分の中にその志を続ける力も動機も理由も見いだせなくなります。しかし、継続できない自分である、ということを認めるところから、神の力による継続が始まるのです。
アブラハムは100歳の時に、不妊の女サラとの間にイサクを得ます。モーセは80歳にして神の召命を受けます。ペテロは復活のイエス様から「私の羊を飼いなさい」と教会をゆだねられます。パウロはキリスト教の迫害者から伝道者となります。
できない自分である、と認めること。そこから神の力によって新たな人生が始まり、そこから先は神の力によって継続がなされるのです。今週も、神の力によってなされるわざを賛美して参りましょう。