1999年9月の霊想

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  ヨーロッパ伝道  (9月5日 )

 フランス・パリで活躍していらっしゃる、渡部画伯ご夫妻から、お便りをいただきました。
 「パリ教会の藤巻兄は、鮨レストランを経営している方で、田中先生のテープを聞いて洗礼にまで導かれました。今でも、彼の車には先生のテープが山積みされていて、彼の車に乗る人は、否応なく、テープメッセージを聞くハメになります。私はそれを『軟禁伝道』と呼んでおります。また、献身志望の若い女性が来られましたが、両親に猛反対を受けていた折、車の中でテープを聞いてもらい、彼女は、それをダビングしてご両親に送ったところ、神学校へ行くことを許してくださったというエピソードもあります。」
 来週、パリ教会とイギリスのケンブリッジでメッセージをさせていただきます。このニュースを伝え聞いた、ロサンゼルスの細居姉から、美智子皇后より皇太子の養育を頼まれた方がパリにおられるので、ぜひ、その集いを紹介したいという要請があったり、当教会の佐藤繁、泰子ご夫妻がドイツにおられた時、よき伝道をなさった実が結び、ノルウェーから、2日がかりで集会に来られる方もいらっしゃると伺っています。
 多くの人々が期待を持って、ヨーロッパでの集会を待ち望んでおられます。どうぞ、このヨーロッパの伝道が祝されますよう、覚えてお祈りください。

 

  神の永遠の腕  (9月12日)

 神の人、モーセは、その臨終に当たって、イスラエルの各部族を祝福しました。このみ言葉は、その祝福の結びを飾るひとことです。
「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。敵をあなたの前から追い払って、『滅ぼせ』と言われた」(申命記33・27)
  『神の腕』とは、どんな意味があるのでしょうか。その腕は全能を意味し、神のご支配が全地に及んでいることを意味しています。神の腕は、私たちを強くしてくださり、私たちに勝利を得させてくださいます。また、神の腕は私たちのための現実的、日常的な助けです。
 このことに気づく時、私たちの為していることなど、いかに小さいものであるかを知ることができます。しかし、ともすれば、このような恵みに包まれていることを忘れ、あたかも自分で生きているかのように思ったり、足らないものだらけのように感じたりすることが多いものです。傲慢とは、このように、神の恵み、神の永遠のみ腕を思わずに生きることです。
 神の腕は、私たちすべてを支えてくださり、恵みからもれ、こぼれ落ちそうな者をも、下から守り支えるために、今も、伸ばし続けてくださっています。今週も、神の腕の中、謙遜に大胆に歩んでまいりましょう。(K)

 

  夕暮れになっても、光があるからである。(ゼカリヤ14・7) (9月19日)

 迫害と苦難の連続だった使徒パウロは、世を去る前、「わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」(Ⅱテモテ4・6~8)と言いました。
 この霊想をお読みの方で、ご年輩の方もおられれば、やがて、年老いる日を迎える人もおります。「夜も昼のように輝く」(詩篇139・12)とあるように、夕暮れになっても、なお輝いて生きる秘密は、日々み言葉に従って生き、コツコツ、かつ、コツコツと、内なる古き人を脱ぎ捨て、心の中にイエス・キリストを迎えることです。
 ビリー・グラハム博士が、ある老人の質問に答えた次の言葉は示唆に富むものです。「もし、私たちが日々の生活の中にキリストが共におられることを知るならば、私たちの人生は、年と共にゆかしく、価値のあるものとなります。あなたの生活の中心にキリストがあるならば、ゆううつや寂しさはあり得ないのです。夕日は輝かしいものです。一日の夕暮れに輝きを添え、すばらしい美を与えてくれるのは、キリストです。そして、このキリストにある新しい喜びを、毎日、他の一人にでも伝えることができるならば、その喜びはさらに増し加わるのです」これは、すべての人が心にとめるべき言葉です。

  祝福の唯一の鍵   (9月26日)

 Aさんは、「毎日があまりにも多忙なので、じっくり祈りの時間を取ることができない」と言っておられました。しかし、忙しいのは、祈らないからであることに気がつかされ、どのような条件下であっても、まず、祈りの時間を一日十五分おとりになったそうです。その事により、逆に多忙から解放され、今では、一日に四十分から五十分の時間をおとりになり、おいしい食事の時を待つ以上の楽しみになったと語られました。
 最近、米沢興譲教会からも、断食祈祷院に数日、あるいは、一週間と、行って祈られる方が多くおられます。どの方も、霊的な輝きに満ちて帰られます。
「しかし、このたぐいは、祈りと断食とによらなければ、
 追い出すことはできない」(マタイ17・21)
米沢興譲教会が祝されている秘訣は、このように、祈り手が多くおられることです。
 どの時代、どの教会にも問題はたくさんあります。しかし、祝福の唯一の鍵は、み言葉に立ち、祈ることに他ありません。
 あなたも、あなたの生活の現場で、あなたのできる祈りのあり方を見いだし、チャレンジなさってみてください。あなたの人生をさらに豊かにすることは、間違いありません。

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