2000年11月の霊想

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  祈 り の 力   (11月5日)

 三日、文化の日、当教会では、四五〇名の参加による二四時間連鎖祈祷会をいたしました。
とりなしの祈りと思って参加なさったけれど、何よりも、ご自分自身が大変恵まれたことを、多くの人々が報告くださいました。
ある人は、三〇分の時間をこのような形でとるのは初めての体験で、この祈祷会をきっかけに、毎日三〇分、祈りの時をとる決心をなさった方もおられます。
またある人は、二四時間の祈りの輪に連なり、自分の祈りは短く、小さくても、その総数は二二五時間であることを思われたそうです。そして、自分の存在が、その巨大な、主の計り知れないぬくもりの一部であることを深く味わい、神の家族の一員としての位置づけ、その尊い価値を新たに認識したとおっしゃいました。
この度、参加できた方にとって、また、所用、その他で参加できなかった方にとられても、この良きひとときをさらに深め、受けた恵みをあなたの個人的な宝としていきたいものです。
祈りがどんなにすばらしいものであるか、また、神の家族である教会全体で祈る時に、神様もまた、新たなる祝福を持って応えてくださることを、さらに体験してまいりましょう。

  人生の金メダル  (11月12日)

 今世紀最後のシドニーオリンピックが終わりました。しかし、一人びとりの人生のレースは、限りなく続きます。オリンピックでは、必ず勝者と敗者が生まれます。では、人生における本物の勝者とは一体何でしょうか。
本物の勝者とは、「敗者を必要としない人」です。二元的に生き、自分でない自分になろうとしたり、人と比べたり、人より優ることに人生の価値を置く人は、他者や状況にかつことが目標になります。しかし、確かな人生は、他者や状況ではなく、自分に勝つことが最も大切です。自分を見出し、その自分を受け入れ、最高の自分を生きることです。なぜなら、あなたは、すべての造られたものに先だって神に覚えられているからです。
神の作品として、あなただけの人生が備えられていたにもかかわらず、一度、サタンのとりこになっていました。しかし、キリストが買い戻してくださった(あがなわれた)自分であることをしっかり覚えたいものです。このことこそ、人生のオリンピックで「最高も金、最低でも金」と天国のメダルを得る生き方に他なりません。
「ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを延ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ3・13~14)

  望みが消えるとき  (11月19日)

 イエス・キリストの最初の奇跡は、ガリラヤのカナで行われました。最も大切な結婚式の最中に、祝いを奏でるぶどう酒がなくなってしまったからです。
人生にも全く同じようなことがあります。せっかく新しい仕事が見つかったのに……、念願の結婚がかなったのに……。あるいは、子供が与えられたのに……と、折々に、現実では希望とは全く異なる状況に置かれることがあります。
なぜこのようなことが世の中にあるのでしょうか。
そのような状況が存在するのは、私たちがそのことによって打ちひしがれ、失望するためではなく、本来私たちがつながるべき方につながり、失望の時にも希望を見いだすためです。
カナでの婚礼の席で、キリストは、水がめにいっぱいの水を満たさせ、それを最上のぶどう酒に変えられました。人生の失望の時、何の意味も価値もないというものを用いて、神様はそこに奇跡を行われます。この奇跡を味わうために、私たちは生かされているのです。
問題の度ごとに本物に立ち返ることです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝」とありますが、枝の使命は、本体にしっかりつながって生きることです。
今週もあなたの拠り所を確かにしてまいりましょう。

  一日は千年のごとく    11月26日)

 地上で与えられている時間は限られている。
そして、時間、その時間はいつ終わるかわからない。
そのことを十分理解したとき、
私たちは今日が最後の日であるかのように、
毎日を十分に生きることができる。
(エリザベス・キューブラ・ロス)

平凡に生きる毎日の中で、この日が永遠に続くように錯覚しがちです。頭ではこの地上での終わりがあるとわかっていても、身体はそのことを理解していません。ですから、つい、惰性になったり、過ぎ去った過去に捕らわれたりしがちです。
毎日を生き生きと生きるコツは、この日は、もう二度と戻ることのない、最後の日であることを覚え、意識して自分の身体に、そして生活に、浸透させることです。
今は、まさに、読書の秋と呼ばれるにふさわしい時節です。本を買っても読まない人は、「あとで読もう」と思うのです。しかし、「あとがない、この時」と言う人は、時間を作り出して本をお読みになるものです。
本の中の本、聖書に親しみ、この地上の終わりに、人生のどこを振り返っても「充実していた」と言えるような今日を生きていきたいものです。

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