2003年01月の霊想

  今年はひつじ年 (1月5日)

 今年は、ひつじ年です。キリストは、私たちを羊にたとえ、羊飼いである主との関係を語られます。
 羊飼いは、九九匹を野原に残しても一匹の羊に心を配る、と聖書は語ります。この考え方・価値観は、少ないよりも多く、より確実な方に目を向け効率的に生きる、という現代の考え方とは全く違います。ですからこのたとえは、現代人にはわかりにくい概念です。しかし、道に迷い、孤独のただ中に陥る時、一匹の羊のために命をかける神様の愛が私たちの内に迫り、この事実が理解できます。
 羊飼いは私たちの名を呼んで連れ出す、とあります。名とは両親がつけた名ではなく、神様がつけられた、一人一人異なる名です。何もできなくても、あなたの存在だけで確認なさるのです。これも、弱いよりも強く、一点でも優秀な方が受け入れられる現代の概念では、理解しがたいことです。できてもできなくても、私たちが生かされている命の尊さを、今年も生活の様々な出来事の中で確認し、その実体を味わっていきたいものです。
 私たちは羊であり、主イエス・キリストは良き羊飼いである―この関係の中に生き、その確かさをもって、混沌とするこの時代に処していくのです。
「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のため に命を捨てる」(ヨハネ10・11)

  神はわれらの避け所 (1月12日)

 小説『雪国』の有名な一節、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で、六、七割の人は「国境」を「コッキョウ」と読むそうです。正式には、作者ご自身が言われるように、「クニザカイ」が正解です。あなたはどちら読みでしたか。
 また、NHKで「むかし、むかし、おじいさんとおばあさんがありました」と放送したところ、「それは『おりました』の間違いだ」と、数多くの抗議が届いたそうです。NHKでは、これに対し、「文部科学省も国立国語研究所も『あり』を優先している」と説明したそうです。
 私たちは、いったん「これ」と覚えてしまうと、それが正しいもの、と自分の中に定着してしまう傾向があります。
 右記の例などは、人生で大きな誤差はないとしても、時に大きな差を生むことがあります。
 「神が確かにおられ、イエス・キリストが救いを完成された。神様は、私たちの確かな唯一の避け所である」ということが明確である人と、不明確である人では、人生に決定的な違いを生み出すのです。
 今年の標語聖句を、あなたの身体、生活全体にしみこませ、確かな実りある一年としていきたいものです。

  人を動かすもの (1月19日)

 E・ホイラー氏は、私たちの実生活から抽出した確かなことを『法則』としてまとめました。これを、『ホイラーの法則』と言います。
 その第一条は、「ステーキを売るな、シズルを売れ」という名言です。どれほどおいしいかという説明ではなく、ジュジュッというステーキの焼ける音(シズル)こそ、人々の食欲をそそり、注文の動機となるのだと言います。コーヒーならその香りということです。
 最近はテレビ・ショッピングなども流行しているようですが、映像で実演を見せられると、その場で視聴者の興味がそそられるばかりでなく、猛スピードで「買う」という決断にまで至るようです。説明ではなく、実体が人を動かすからです。
 現代人が求めてやまない心の平安、どんな状況も大丈夫という確かさは、どのように培われるのでしょうか。それは、祈りの中で生活し、み言葉にいつも土台を据えていることです。その実体を、あなたの置かれている現場で証しできることは、何とすばらしいことでしょう。暗やみの時代だからこそ、どんなに小さくても、主にある実体の光は人々の希望となるのです。
 震える本音を見据え、そのただ中に来てくださるイエス様と共に、自らをしっかり育てましょう。

  生きた言葉を語るために (1月26日)

 今週はホイラーの法則第二条で「手紙を書くな、電報を打て」です。多くを語ってもなかなか相手に通じないことがあります。それは、選び抜かれた適切な言葉が用いられていないことに起因します。
 アメリカのある大統領が、次のような名言を残しました。「二時間の話をしなさいというのなら、今すぐ語れる。一時間ならば三〇分の余裕をくれ。三〇分の話ならば一日ほしい。十五分の話ならば三日ほしい。五分の話ならば五日ほしい」。
 選び抜かれた、賞味期限切れしていない、フレッシュな言葉を語りたいものです。では、人々が感動をもって受け止めるだけでなく、気がつくと行動している、そんな生きた言葉はどのようにしたら生まれるのでしょうか。
 それはダイヤモンドを見つけるようなものです。大きなトラック一台分の鉱石から、高価な一個のダイヤモンドがやっと見つかるように、まず何よりも、めげないで数多く挑戦していくことです。「量より質に挑戦」というのはまだ先のことです。まず数に挑戦し、くり返し、くり返し練習することが第一歩です。
 今年も、手抜きせず、コツコツと忠実に日々を過ごしてまいりましょう。

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