2004年10月の霊想

  実体を生きる (10月3日)

 何事においても、本当のところは何か、という実体、ツボをわきまえることが肝要です。
 私たちは、実体とは別のことを語っていることすら気がつかない時があります。「わかっているけれどもでき ない」のではなく、わかっていないからできないのであ り、「できない」のではなく、やりたくないという本体があるのです。本当の自分を見いだし見据えることはつらいことですが、そこからのみ、確かさが始まります。
 ソフトバンク社をゼロから世界的企業に立ち上げた孫 正義氏はかつて、在日韓国人ながら安本姓を名乗っていました。しかし、武家の流れをくむ先祖代々の名前を名乗る決意をした時、親戚は大反対をしました。日本で生きるためには大きなハンディになると思ったからです。 しかし「たとえハンディになっても、自分が自分であることのプライドを捨ててよいのか」と、自分の実体を生きることを決断し、堂々と名乗りました。
 もちろん、私たちは、自分の実力にあった生き方をすることが必要です。しかし、人生、神様との関係にあっては本音で、あるがままのただ中に来てくださる主と共に生きたいものです。
 今週も、しっかりと御言葉のベルトに支えられ、前進してまいりましょう。

  苦闘しながら努力する (10月10日)

 物事を実践・実行していない人は、とても筋の通ったことを、理路整然と語られます。日々苦闘しながら生きている人にとっては、責められることはあっても、反論できないほど、明解に語られます。
 しかし、人生を本気で生きてみると、不思議なほど、必ず、願うように、理論通りにいかないことに突き当たります。本気で生きている人は、その思う通りに行かない人生を苦闘しながら戦い、その〈戦い〉という山の中から宝を見いだそうと必死になります。
 一個の小さなダイヤモンドは、大型トラックに何杯もの鉱石の中から見いだされます。また、伝統的な仕事をなさる職人さんなどは、決して、弟子にすぐ答えを教えないと言います。教えられた答えは、すぐ忘れるからです。
 このように、忍耐深く挑戦することによってのみ、いのちある本当の事がわかり、自分のものになるのです。
 借りた言葉ではなく、いのちある言葉を見いだして語るためにも、今週も、神様に深く信頼しつつ歩んでまいりましょう。

   「わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておられる
    かたの力により、苦闘しながら努力しているのである」
                             (コロサイ1・29)

  三〈ず〉を渡る  (10月17日)

 シニアのおばさんに水泳を始められた理由を伺うと、「三途の川を渡らなければならない時が来たから」と、ユーモアたっぷりに話されました。
 そこで、人生の川を渡るための三つの「ず」(さん ず)を考えてみましょう。

 恐れず。人生は不安、恐れに満ち、経済のこと、健康 のこと、人間関係のこと等きりがありません。しかし、ごまかさず、逃げないで、しっかりと向き合うと、その正体が見えて恐れから解放されることが多くあります。 外に揺れる白い物体が、実は洗濯物であったと分かった 瞬間から恐れが消えるようなものです。

 焦らず。焦りは計画性の欠如から生まれます。最も大切な習慣の一つは、計画的に生きることです。そのため に、朝に、週の始めに、月の始まりに机に向い、紙と鉛筆を出し、自分の予定をしっかり整理なさることです。 段取りを怠ると、流されてしまい、すべきことよりもしたいことに時間を費やすからです。

 あきらめず。人生では様々な試練に遭遇します。しか し、その試練のただ中にあっても決してあきらめないこ とです。熟慮し、これと定めた事柄については、食らいついて決して離さない―そのような強さを培っていきたいものです。

  人生の勝因 (10月24日)

 どのような状況でも、「必ず道は開ける」という強い思いを持って生きる人には、試練も宝に変わります。
 今はデフレの時で、安価競争が一つの大きな流れになっています。しかし、必ずしも安いことが勝因とは限りません。
 大手ハンバーガー社が値段を数十円に下げましたが、かえって、マイナスとなりました。おにぎり会社が、こ のハンバーガーに対抗して、一個百円以下のおにぎりを売る一方、逆に、一個一六〇円、一七〇円というおにぎりを出して、成功した例があります。
 つまり、値下げというよりも、「お客様の○○○○」に思考を変えたからです。この「○○○○」に、あなたはどのような言葉を入れますか。その言葉はあなたの人生の行き先を暗示しているかもしれません。
 答えは、そうです、「こだわり」です。値下げよりもお客様のこだわりに価値を置き、視点を変え、高くても良い物を、と方向転換をなしたからです。
 私たちは、つい、大きな流れの中に身をゆだねがちです。しかし、どのような状況にあっても、流れとは異なる、一八〇度向きを変えたところにあなたの進むべき道 が隠されていることが多くあります。
 今週も、こだわりを持って生きてみましょう。

  試練の意味  (10月31日)

 日野原重明先生の、80分に渡るパワフルで慈愛に満ちた礼拝メッセージは、一千名を超える満堂の聴衆に深い慰めと励ましを与えてくださいました。
 求道中のAさんは、いつも辛口の批評をなさる方ですが、目を潤ませながら「こんなに感動したことはない」とおっしゃいました。それは、日野原先生ご自身が若き日に闘病体験をなさり、また、医師として、普通の人の何十倍もの苦しみに遭われた方々と数多く出会ってこられたご体験から、私たちが受ける苦しみは、人への思いやりを育てるすばらしい糧であることを話されたからです。その恵みを深く味わい反すうしておられる姿が印象的でした。
  日野原先生の新刊『テンダー・ラブ』の中に、ドイツの女流詩人、アマリーニ・フォン・ヘルウィッヒの次の詩が引用されています。

  「不幸そのものには多くの益はないが、それはなお、三つのけな
   げな子どもを持つ。その名は、力、忍耐、同情と呼ぶ」。

 様々な試練や困難は、あなた自身が主に信頼し、希望を持って耐え忍ぶ機会であり、何よりも、試練は、人を思いやることのできる愛の人になるための授業であることを心に刻んで、今週も歩んでまいりましょう。

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