2006年3月の霊想

  三つよりの綱  (3月5日)

  「ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得
   るからである。……三つよりの綱はたやすくは切れない。」
                      (伝道の書 第4章9節~12節)

 友情は、苦難の時にこそ、その真価が試されます。試練の中にある時、真の友は三つのことをしてくれます。
 第一に、あなたが倒れそうな時、「大丈夫だよ」と実体のある言葉と行いで助け起こしてくれます。(10節)
 第二に、あなたの気持ちに寄り添い、思いを聴いてくれます。それはあなたの心のエネルギーとなります。(11 節)
 そして第三に、いざという時あなたの味方となり、共に困難にぶつかってくれるでしょう。(12節)
 まことに持つべきは真の友ですね。
 ところで、この聖書の箇所では人とその友について、つまり二人について語っているのに、最後に「三つよりの綱はたやすく切れない」とあります。なぜ、〈二つより〉ではないのでしょうか。それは、人と人の友情は素晴らしい。しかし、そこに主がいてくださる時、さらに素晴らしいものになる、ということなのです。
 夫婦、親子、同僚等、関係の中で生きる私たち。そして、そこにイエス・キリストが共にいてくださる時、その関係は、さらに素晴らしいものになるのです。(I)

  試練が宝  (3月12日)

 英国のサッカー界で初めてナイトの爵位を与えられ、初代の欧州最優秀選手でもあるスタンリー・マシューズのエピソードです。
 彼は、足腰を鍛えるため、日頃から重い鉛の板の入った靴を履いて生活をしていました。ですから、いざ本番となると、足に羽が生えたようにフットワークが軽くなり、魔術のようなドリブルができたそうです。
 あなたも、様々な鉛の靴を、日々、履いて生活しておられることでしょう。しかし、その出来事はあなたを鍛えるためのものなのです。重い鉛の靴を履かせられる度ごとに天を仰ぎ、神に祈り、やがての本番の試合に備えるのです。その日には、すべての重荷から解き放たれ、あなたならではの人生を、生き生きと、軽やかに生き抜くことができるからです。
 今週も、天から与えられる冠を目ざしつつ、与えられた訓練を耐え抜きたいものです。

   「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、
    むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、そ
    れによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせる
    ようになる」(ヘブル12・11)

  ほっとする  (3月19日)

 著名な作家が、後輩が持ってきた小説を読んでひとこと。「下手だね」。大先輩の前で自信なげに身をすくめて聞いている後輩に対し、さらに言いました。「でも、最初はみんな下手だったんだよ」と。
 俳優の小沢昭一さんが海軍兵学校に入りました。空襲の最中、教官が「お前、家に帰りたいか」と聞いたそうです。思わず「はい」と答えてしまい、殴られる、と覚悟していたら、教官が「おれもだ」と言ったそうです。
 先の小説家の話といい、小沢さんの話といい、私たちは、聞いてほっとします。
 ではなぜ、聖書を読むと安心し、イエス・キリストに出会う時、平安だけではなく、さらに永遠の命を体験できるのでしょうか。
  キリストご自身は神であるのに、私たちのただ中に来て「私もそうだ。決してあなたを捨てず、見放さない」とおっしゃいました。神が共におられる、この恵みに留まり、味わう時に、み言葉のぬくもりとエネルギーがあなた自身を潤すからです。さらには、自らを潤すだけでなく、泉のように湧き出てまわりにも潤いを与えます。そのようなキリストの大使であることが、あなたの役目です。今週も、あなたに寄り添って歩まれるキリストに目を向け、心をとめ、語り合ってまいりましょう。

  若き日に円熟、年老いて若さを  (3月26日)

 若い時には欠けが多く、年をとると、つい、生気に欠ける……これは自然の歩みです。しかし、「若くても円熟を、年をとっても若々しく」という歩みも同時にできることは、何とすばらしいことでしょうか。
 世界的チェロ奏者、ミッシャ・マイスキーが、子どもたちの指導をしていた時のことです。バッハの『無伴奏チェロ組曲』を、三人のチェロ奏者の演奏の録音で聞かせました。そして、子どもたちに、この中で最も若い奏者、そして、最も年をとった奏者を当てさせたのです。
その結果、最も年とった演奏者と感じたのは、実は、若い頃のマイスキーの演奏であり、最も若い演奏者と感じたのは晩年のマイスキーの演奏だったというのです。
 彼自身、ソビエトの抑留生活の苦難を経て、苦難を宝に変え、若き日にも円熟を、年老いても若さを生きることができたのです。
 マイスキーの人生は、次のみ言葉を彷彿とさせます。

    「主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱るこ
     となく、また疲れることなく、……弱った者には力を
    与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。……
    主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼を
    はって、のぼることができる。走っても疲れることな
     く、歩いても弱ることはない」(イザヤ40・28~31)

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