2007年1月の霊想
人 生 の 旅 (1月7日)
『 旅 』
人生は旅だといわれます。しかし、一体どこからどこへ旅をするのでしょう。古いものから新しいものへ、そんなことではありますまい。虚偽から真実へ、それでもありますまい。
それは、人生を自分のものと考えて思いのままに変えてゆこうとする生き方から、与えられたものと考えて受止めてゆこうとする生き方への旅でしょう。つまり、変革から受容への旅です。
人生において、旅とは何かを求めて遍歴することではありません。あるがままを引き受けて動かなくなるように、はからいを捨ててゆくことです。
藤木正三(牧師・『神の風景』より)
詩人でもあられた福永武彦氏は、「旅というのは、時間の中に純粋に身を委ねる」と言いました。
あなたにとって旅とは何でしょうか。
全能の神のみ手の中に身を委ね、神様との関係強化のために仲立ちとなられたイエス様をあなたの主とし、今週も、そして新年も、祈りの中に歩むことこそ、与えられた恵みの中で、豊かに成長していく秘訣です。 |
主の香り (1月14日)
かつて、警察庁長官、内閣官房副長官、さらに、法務大臣、副総理として歴史に残る働きをした後藤田正晴氏は、「自分にはまったく宗教心はなく、受け継ぐいとまがなかった」と記しています。しかし晩年には、「人間には宗教心が必要だ」と語り、「自分には何か欠けている。それは宗教心であった」と語られました。
後藤田氏は、「先進国と言われるヨーロッパ諸国は、日本以上に倫理観や家族観が壊れているに違いない」という先入観を持っていたと言います。しかし、外国に出かける機会が多くなり、フランス、デンマーク、そしてスウェーデンなどは、表面的にはいかにも猥雑で、秩序が乱れているようだけれど、実際には異なっているのを体験し、なぜだろう、とよく観察してみました。そこでわかったことは、唯一神を持つキリスト教の教えと信仰が暮らしの中にしみ込んでいることでした。「これが日本との違いだ。死んだ時に手を合わせる葬式だけの儀式宗教では、信仰とはほど遠く、人間の精神を律するものにはなり得ない。その点、キリスト教が生活の中ににじんでいる……」と、宗教心の力を実感されたのです。
今週も、あなたからにじみ出る恵みが、良き香りとなり、まわりを、そして、日本を潤していくのです。 |
人生の目的 (1月21日)
多くの末期患者をケアしたことで著名なエリザベス・キューブラ・ロス博士によると、患者さんの多くが「生 きるために働くはずが、働くために生きてしまった」と言うそうです。
働くために生きたとしても、今まで生きて来られただけでも、もちろん感謝でしょう。しかし、さらに一歩前進して、生きることが主語になるためには何が必要なのでしょうか。
それは人生の目的です。すなわち、「神の栄光のために生きる」ことです。神様がどんなにすばらしい方であるかを、あなたの歩みを通して自らが確認し、また、まわりの人々にも理解してもらうために人生があることをしっかりと確立してまいりましょう。
そのためには、み言葉の助けと祈りを通してあなたの内が聖霊様に満たされることです。その時、どのような過去があっても、弱い私たちでも、この体は聖霊様をお迎えする宮である(Ⅱコリント6・19)ことを、毎日の生活で体感できるのです。
歩みはどんなに小さくゆっくりであっても、この方向を定かにする時に、人生の終わりに、「様々なことがあったが、すべて主のみ手の中にあった」と語りつつ御国に凱旋できることは何とすばらしいことでしょう。
今週も主を見上げつつ……。 |
見えないものに支えられ (1月28日)
稲盛和夫氏によって作られた京都賞があります。稲盛氏自身、十年以上この賞に関わられており、その審査・選考は、京都大学を中心とした、日本の頭脳というべき先生方が担当されます。
その方々に、長い間触れてわかったことがあるそうです。学者先生たちの世界において「道徳(宗教)」という言葉は禁句で、そのような言葉を語り出すと、「あの人も、ついに終わった」と排斥されるというのです。
しかし、稲盛氏自身が仏門に入られたこともあり、先の方々も、大学を辞し、お年を召されると、人生観、宗教観を求められるようになると言います。
勢いのある時には、どうしても、見えるもの(ドゥーイング)のみがすべてと思いますが、すべての見えるものは、見えないもの(ビーイング)によって支えられています。このことをすでにご存じのあなたが、社会に、この日本に、ひとつの光を灯されることは、何とすばらしいことでしょう。
「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で
造られたのであり、したがって、見えるものは現れて
いるものから出てきたのでないことを、悟るのである」
(ヘブル11・3) |
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