2007年11月の霊想
幼な子の気持ちで (11月4日)
家族一同が夕食の席に着きました。父親は頭を垂れ、「神様、良き食事を備えてくださったことを心から感謝します」と祈りました。
食事をしながら父親は、「今日はご飯がかたい」「煮物の味が薄い」と言い、また、卵の料理法に文句を言いました。すると幼い娘が尋ねました。「お父さん、神様は、さっきのお父さんのお祈り聞こえたのかな?」「もちろんだよ」とお父さんが自信を持って答えたので、娘は少し考えながら、「お父さん、さっきの食事の不平も神様は聞こえたの?」。父親は、「もちろん、神様は何でも聞こえるんだよ」「だったら、神様はどっちを信じるの」と尋ねました。
ある日、当教会員の息子さん開来君(4歳)とお母さんが口論をしました。夜になり、寝る前に、お母さんはわが子を教え諭そうと思い、「あの時、お母さんはどうすれば良かったのかしら」と尋ねました。すると開来君は、「それはお母さん、神様に聞き従うことだよ」と答えたそうです。お母さんはまさに天の声を聞いたと言われました。
来週は子供祝福式です。このような幼な子の気持ちを聖霊様からしっかりといただきつつ歩みたいものです。
「天国はこの(幼な子)ような者の国である」
(マタイ19・14) |
いのちの光 (11月11日)
水の入ったビンにネズミを入れます。その状況下で部屋を暗くします。力尽きて溺れるまで何分泳ぎ続けるかを計測したところ、泳いだのは3分程度でした。次に、同じ状況でビンを光の当たる所に置くと、何と、ネズミは36時間も泳ぎ続けたのです。暗やみの場合と比べて、700倍以上の長さです。光があり、見えるということで、希望を持ち続けたからです。あなたが意気消沈し、「ダメだ」とふと思うのは、光を失う時です。
あなたは何を光としていますか。物やお金、人間に頼ると、すぐ、底をついてしまいます。ですから、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ8・12)とおっしゃるイエス・キリストの言葉に生きることです。何よりも、あなたの心の中心にこの方をお迎えし、キリストを、あなたの『大切なお客様』から『主人』にすることです。ネズミは700倍でしたが、この方を迎えると永遠に生きるばかりか、その祝福は、あなたを通してまわりを変えていくのです。
「あなたがたは、世の光である。……あなたがたの光を人々の前
に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天
にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」
(マタイ5・14、16) |
どんな時も大丈夫 (11月18日)
最近は、お年寄り向けのお話しをさせていただく機会が多くあります。今、あなたがお若くても、お年を召す日は確実にやってきます。いや、今すでに、人生の後半を生きていらっしゃるかも知れません。
年が進むと、気力、体力共に弱くなりがちです。しかし、「わたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(Ⅱコリント4・16)とあるように、内なる人(信仰心)を、日々整えておられる人は、お年を召してもお若く、年齢と共に弱くなっていく様々な面を補って余りある生き方をなさるものです。また反対に、お若くても元気を欠いて生きる方もおられます。結局、人生は年齢に関係ないようです。
どのような精神的、経済的、社会的試練がやって来ても、生き生きと生きるコツは、「すべてのこと相働きて益となる」(ローマ8・28)のみ言葉を口ずさみ、頭で理解し、それを腑に落とし、生活の隅々まで行き渡らせることです。
これをお読みになるあなたご自身がそのように生きておられるがゆえに、人生を大きく変えられていく人が、次々と起こされているのです。
神様にある恵みの世界、「どんな時も大丈夫」の歩みを、今週もしっかり確認してまいりましょう。 |
晩秋の夜長に (11月25日)
Tさんは、アメリカンフットボールの監督をしていましたが、様々な試練を乗り越え、現在は、教会献身をしておられます。今年一年は、トラクトを携え、米沢市内のお宅を一軒一軒訪問しています。最近は、朝晩、めっきり冷え込んできたので、ご両親各々からいただいたコートを着て出かけます。そのコートは長年愛用していたため、裾が二着とも、とてもほころびていました。
仲間のIさんのお父さんは、奥様を亡くされた後も、コツコツと天職の仕立屋さんをしていらっしゃいます。
Tさんのコートのほころびを見たIさんがその旨を伝えたところ、お父さんは快く裾を直してくださいました。
修繕されたコートを着て、Tさんは今日も、トラクト配布に意気揚々と出られました。
このことをAさんとBさんに話すと、Aさんは、「その労賃と送料など諸々含めると、今は修繕するより買った方がよほど良い物が買えるし効率的だ」と言います。
Bさんは「それも確かだけれど」と目に涙を浮かべながら、「どう反論してよいかわからないけれど、心にジーンとあたたかいものを感じる」と、二人は秋の夜長に語り合っていました。
さて、この会話の中に入ったとしたら、あなたはどんなことをおっしゃいますか……。 |
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