2009年2月の霊想
三つの法則 (2月1日)
豊かな人生を生きるために、「三つの法則」をしっかりと心にとめたいものです。
第一は「希望の法則」。「希望は失望に終ることはない」(ローマ5・5)と聖書は約束しています。恐れず、あなたの夢・希望を明確に紙に書き出しましょう。そして神様に祈りつつ、直すべきところがあれば修正し、より豊かなものを目ざしながら進むのです。
第二の法則は「充実の法則」。「今、この時」を感謝して生きることです。うまくいったら感謝する、自分の思う通りになったら満足するのではありません。どのような状況でも、「今、この時」を「充実した時」とするのです。与えられたそのままを、丸ごと「神様ありがとうございます」と感謝して生きるのです。
第三は「関係の法則」。希望や充実した時をもたらすのは、あなた自身でも他人でも環境でもありません。あなたを造り、あなたをあがない、あなたを愛してやまない神様ご自身です。この方との関係を密にすることが肝要です。すなわち、この方と会話(祈り)をし、この方に従いながら生きることです。
三脚のように、「三つの法則」があなたの人生をしっかりと支え、より豊かなものへと導きます。 |
早 起 き (2月8日)
物心両面で豊かに生きている人の共通点は確実に「早起きである」ということです。脳科学的にも、朝の方が創造的にものごとを考えることができ、前向き思考ができると言われています。夜は意志決定がどうしても消極的になるのです。それに、寝ている間に脳は情報整理をいそいそとやってくれるそうです。
仕事が込んでくるとつい「徹夜をすればいい」などと考えがちですが、時間の割に効率は上がらないのです。
逆に、朝は時間的な制限があるので優先順位を考え、自然と効率化を考えるようになります。「9時までに会社に行かなければならない」「10時に人に会う」―など、それまでにやるべき事を考え時間内に終了させる、という工夫が生まれるのです。
早起きのコツは第一日目にあります。「早起きする」と決めたら、設定した時間に無条件で起きることです。
その日はきっと、リズムが崩れ、仕事がはかどらず、調子が乗らないことでしょう。しかし早起きした分、疲れて早く寝ることができますから、翌朝はもう目覚まし時計がいらないかもしれません。
「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい」(哀歌3・22~23)の約束をさらにあなたのものとするため、良き習慣を身に付けたいものです。 |
解放の鍵 (2月15日)
最近、「家族の宿題が主にあって見事に解決した」という報告を多く受けます。
子どもさんの問題をお持ちだったご両親に、「なぜ解決したのですか」と尋ねてみました。すると、「人は愛されたいと願っていることがわかりました。人を愛するとは、『自分に関心を示してほしい。自分のことをわかってほしい』という相手の要求に気がつくことだと。そこで、自分の価値基準にとらわれないで、子どもの身になり、子どもの思いに耳を傾け、理解しようと努めました」と語られました。
悩んでいる人は、答えがほしいのではなく自分を理解してほしいのです。物差しを当てがわず、ただ「そうなのか」とあるがままを受け入れてくれる実体を通して、命ある愛に出会い、その愛に心いやされ、回復に導かれるのです。
さらに「どうして、そのように相手を理解することができるようになったのですか」と伺うと、「子どもの問題は結局、親である私の問題であることがわかり、自分で自分を裁く人生に別れを告げたのです。自ら裁く私のただ中にイエス様が来てくださり、私をゆるし、受け入れてくださったという体験が根本にあるからです」 一人一人、神の愛に出会う方法は異なります。あなたと愛の神との出会いが豊かに祝されますように。 |
酔 う (2月22日)
酒に酔った人に絡まれたりして、嫌な思いをした経験はありますか。
お酒を飲むとすぐ酔う人がいます。「人、酒を飲み。酒、酒を飲み。酒、人を飲む」と言いますが、飲み過ぎはなかなかやっかいなものです。
しかし、これはお酒に限ったことではなく、人は誰でも何かに酔って生きています。仕事に酔う、お金に酔う、趣味に酔う、異性に酔う……誰にも「酔い癖」があるものです。
「酔う」とは、自分のことがわからなくなり、「自分を見失う」状態です。そう考えると、世の中は「酔っぱらい」で満ちていると言っても過言ではありません。知識に酔い、権力に酔い、仕舞いには自国を誤った道に導いてしまう国家の長も世界の至る所にいます。
問題は、自分が酔っている、ということに気がつかないことです。車酔い、船酔いは別にして、酔っている時は確かに気持ちがいいものです。しかし、人生、どこかで酔いを醒まし、覚醒された人生を歩み、そのすばらしさを人々に伝えたいものです。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた
者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべて が新し
くなったのである。」(Ⅱコリント5・17) |
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