2009年10月の霊想

  主役はあなたです (10月4日)

カウンセリングの仕事をさせていただいて、様々な心の宿題から解放される方々に感動します。
 アルコール依存症ゆえに、お酒で、ご本人も家族も苦しまれることが多くあります。何十年間という長いその苦しみから解放される人の中に、次のようにして解放される方がおられます。「お酒が自分をダメにした。お酒さえこの世になければ」と言っていたのですが、ある日から「『お酒が』ではない。主役は自分だ」と、主語を【お酒】から【自分】に変えるのです。まわりや状況が自分を支配するのではない、自分が人生の舵を取る主役であると、主客を転換なさるのです。
鈴木太郎さんにとって、お酒が人生の主役でした。しかし、「【鈴木丸】の船長は自分で、舵を取るのは自分であってお酒ではない」と明言し、依存症に立ち向かい、ついに何十年というお酒との葛藤から解放されました。
 これは何もお酒に限らず、「人々や状況や親が悪い」と思っている人生から、「すべては自分から始まる。自分が主役」と主客を転換し、人生の主役を自らが担うことが人生の目的であり、幸せの最短距離です。
 さらに、クリスチャンの私たちにとって何よりも大切なことは、船長はあなたですが、船主は全能の神であることです。この関係を明確にしていきましょう。

  わたし自身のために  (10月11日)

 夕食時、ご主人との会話がない奥さん。ある日、とうとう「あなたウンとかスンとか言ってください。いっつもそうなんだから。団欒(だんらん)なんてあったもんじゃない」と爆発してしまいました。するとご主人は「わかった、わかった」と言ってテレビをつける。頭に来た奥さんがテレビをバチッと切ったら、それから長い冷戦状態が始まりました。
 そんなある日、奥さんは誘われてTCSを受講なさいました。そこで聞いた話が〈私メッセージ〉。自分の気持ちを「私はこう思う」「私はこうしてくれるとうれしい」と相手を慮りながら言うと自分の気持ちが伝わる、ということでした。「あなたはいつもこうだ」と〈やっつけメッセージ〉で自分の気持ちを言っていたので相手は話したくないのだ、ということがわかりました。
 その日の夕食時、ご主人に言いました。「お父さん、一日ご苦労様。私、できたら、食べたら『おいしい』と言ってもらえると、とってもうれしいんだけど」。ご主人はびっくりしながらも静かに「うまいよ」と言ってくれました。奥さんは「そう、ありがとう。作った甲斐があったわ」。するとご主人が「お世辞じゃないよ。これどうやって作ったんだ?」と言い、団欒がうまれました。
 〈私メッセージ〉を会話の中で使ってみましょう。
                              (一元ファックスより)

  人生を決めた出会い  (10月18日)

 ドイツ人のアルフォンス・デーケン先生は、日本に初めて「死生学」の概念を定着させ、1991年に菊池寛賞を授与されました。今も、多方面で活躍しておられます。先生は日本人以上に日本を知り、日本を愛してやまず、日本に骨を埋めるとおっしゃっています。
 先生が日本に来られるきっかけとなったのは、12歳の時、図書館で出会った一冊の本でした。そこには長崎26聖人の殉教が記されていました。
 豊臣秀吉のキリシタン迫害によって処刑された26人の最年少は、当時の先生と同じ年、12歳のルドリコ茨木でした。茨木が刑場へ引かれて行く途中、あわれに思った一人の武士が「おまえがお咎めを受けるもとになった信心を捨てなさい。そうすれば、ご赦免を願って私の養子として迎えよう」と話しかけました。すると茨木は「あなた様がキリシタンになって、一緒に天国へ来てくださるといいのですが」と答えました。
 何と明快にして問いを包んでなお余りある答え。茨木のこの姿に、「彼の国、日本に行ってみたい」と強く思い、先生は日本に来られました。
 一人の人生に決定的な影響を与える、と言わずとも、あなたの神を信じて生きる在り方は、必ず、誰かに良き影響を与えていきます。

  自分への語りかけ  (10月25日)

 日本語のすばらしさの一つに【へりくだったものの言い方】があります。たとえば、人に物を贈る時に、「つまらないものですが」という言い方があります。文化庁の調査によると、68%の人がこの表現を「使う」と答えています。
 熱心なキリスト者でもあった新渡戸稲造は、著書『武士道』の中で、「品物を、物そのものの価値ではなく、『記(しるし)』として受け取ってください」と書いています。このように、贈り手の心を表現するのに好まれている表現なのです。
 しかし、同じ【贈り物】でも、神様の贈り物であるあなたの命、あなた自身に対して、つい、同じように「つまらないものですが」と使い、ディスカウント(値引き)していませんか。
 自分自身に語りかける時は、決して遠慮せず、神の作品、神の子供、イエス・キリストにあがなわれた者としての特権を忘れずに、大胆に語ることです。神にある本来の姿に対して、「あなたはすばらしい存在です」とほめる。そのような前向き肯定的で、励ましに満ちた言葉を自らへの日常のあいさつとし習慣化したいものです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあな たを愛している。」(イザヤ43・4 新改訳)

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